高橋達也と東京ユニオン
TATSUYA TAKAHASHI AND
1976年 高橋達也の隣のテナーは三木敏悟
高橋達也は1931年12月24日山形県鶴岡市生まれ。本名は高橋達郎。鶴岡工業高校卒業。
1951年プロ入り。仙台・大津などの米軍キャンプ、新潟の「エンジェル・
スターズ」バンドで演奏活動(この新潟時代に松本英彦と出会う)を行う。
その後上京し平岡精二のコンボに入団。
平岡バンドの後はシックス・ジョーズ、草ヶ谷隆夫5、松本彰孝5等のコンボで演奏後
1962年に「海老原啓一郎とロブスターズ」に参加して初めてビッグバンドを経験する。
その後1964年5月に結成された「野村良と東京ユニオン」に参加。
東京ユニオンはその後 渡辺明、山屋清とリーダーが代わった後、1966年に
高橋達也が4代目リーダーとなり「高橋達也と東京ユニオン」が発足した。
当初ジャズは、高橋自身が書いたアレンジメントを使用して、
キャバレー等の仕事の合間に自分達で楽しんでいた。
そして72年夏、「サマー・ジャズ・フエステイバル」に初出演以降本格的
なジャズ演奏活動に入る。この頃は、ファーガソン、バデイ・リッチ等の
レパートリーを中心にロック・エイジにもアピールするような演奏を行い、
若いジャズ・フアンを中心に支持を増やしていく。
(この頃のロック色の強い,荒々しい演奏が最も ユニオンらしい(フュー
ジョンではない)と思うがこの初期の演奏がほとんどLP化されていないのは残念。)
そして次第にレコーデイング、定期コンサートも積極的に行うようになり、
三木敏悟を起用した「北欧組曲」で日本ジャズ賞を受賞。(77年)その後、
モントルージャズ祭等海外演奏を行い、全盛期を迎える。が89年、リーダー高橋達也
の病気の為、バンド存続を断念。人気絶頂の時にまさかの解散。この頃には、バンドと
して成熟したサウンドを聴かせていただけに多くのジャズ・ファンに惜しまれた。
高橋さん個人はユニオン解散後しばらくして復帰、コンボ、臨時編成の
「高橋達也とリ・ユニオンオーケストラ」を率いて再び活躍したが、
2008年2月29日膵臓がんのため76歳で死去された。
解散時ボーン奏者だった角田健一は東京ユニオン解散時のメンバーを中心に
角田健一ビッグバンドを結成。「ビッグバンドよ永遠に」を合言葉に大活躍中。
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