1950年〜1951年 シャープスアンドフラッツ誕生!!

 

1950年 9月  横浜のキャバレー「オリンピック」に出演中の「ムーン・ライト」の

          リーダー,北山十郎(g)が金銭的トラブルからメンバーからボイコットされ退団,

          在籍していた塚原信夫が他のメンバー達に推挙されムーン・ライトの

          リーダーとなる。

           当時の「ムーン・ライト」のメンバー

           塚原信夫(ts),白磯巌,坂本・・(tp),竹内和三郎(ds,ジミー竹内)etc

 

1951年 10月 ムーン・ライト,米軍品川オフイサー・クラブ「ビラ・クラブ」(黒人EM)に移る。メンバー,ビ・バップを初めて聞く。

          ある米兵の思いつきで黒人スラングである「シャープ」(かっこいい,いかしてるとかの意味)と音楽

          用語の「フラット」を合わせて「シャープスアンドフラッツ」とバンド名を変えた。

          また「ツカハラ」は外国人に発音しずらいため「ハラ」とし「原信夫とシャープスアンドフラッツ」が誕生した。

          デユーク・エリントン,カウント・ベイシー,ウデイ・ハーマン,スタン・ケントンのバンドを目標とした。

           誕生時のメンバー

           原信夫(ldr,ts),松武静夫(ts),向井周,工藤正人(as)

           加瀬利雄,市川栄(tp),堀田敏夫(tb)

           佐藤愛子(p,原夫人),畑山太郎(b),竹内和三郎(ds,ジミー竹内)

 

          「ビラ・クラブ」の黒人マネージャー,ウイリアム軍曹に非常に気に入られ,楽器,楽譜,レコード等を取り寄せ

          てくれ,ビ・バップを勉強,大きな影響を受ける。

          原のブロー・テナーを中心としたリズム&ブルース風スタイルでスタートしたが徐々にダンスバンドよりバップをも

          とに「鑑賞バンド」に脱皮。スタン・ケントン,ウデイ・ハーマン,ライオネル・ハンプトン等のレパートリーを演奏。

          当時,輸入の既成アレンジ(ストック・アレンジ)を用いる慣例を真っ先に破り,故・守安祥太郎書き下ろ

          しによるニュー・アレンジを用いて大いに話題を呼ぶ。

          秋吉敏子(p)が時々参加し<Cジャム・ブルース>等を演奏していた。

 

        秋 ビラ・クラブのウイリアムマネージャーの熱心な売り込みで,

          神田・共立講堂で行なわれたジャズ・コンサートにノー・ギャラ初出演。

           司会:トニー谷

           守安祥太郎書き下ろしによるニュー・アレンジのビ・バップを演奏し大受けであった。

           このコンサート出演以降プロモーターが注目するようになる。

 

     12月末 日比谷公会堂で行なわれたジャズ・コンサートに出演。

 

 

 

 

 

 

1952年〜1955年 森川周三入団、谷啓が在団

 

1952年 田町「バタフライ」に出演。

 

      6月   森剛康(ts)入団。

 

      7/15 森川周三(tp)入団。正確な読譜力,美しい音色,強烈なアタック等名実共に

           日本NO.1の名リード・トラ ンペッター。入団以降今日までシャープのブラス・セクシヨンの要として大活躍する。

 

      秋頃〜12月末迄,白木秀雄(ds)在団。

 

1953年 谷啓入団。(tb 中央大学在学中 21歳 53年春〜54年秋まで在籍)

      この頃のメンバー

      原信夫,森剛康(ts),工藤正人,向井周(as)

      森川周三,福原彰,三井章夫(tp),堀田敏夫,西村喜次,谷啓(tb)

      塚原愛子(p),舟木明行(b),ジミー竹内(ds)で第1期黄金時代とされる。

      5月  田町「バタフライ」専属出演。

      5月  デルタ・リズム・ボ−イズと共演。

      東京駅前「バンカース・クラブ」に出演。

 

1954年 この頃,悪徳プロダクシヨンにだまされ、2度もギャラを持ち逃げされた。

      仕事も無くなることもあり経済的に苦難の時代だったが原さんは頑張り抜いた。

      (メンバーは1日100円で過ごした時代だった。)

      「バンカース・クラブ」,「美松」,「ハット・メース」(4,横浜)等に出演。

       春 原田忠幸(bs),谷山忠男(tb)入団。(5saxに増員)

       夏 市橋健司(b,世志凡太)入団。(55年暮れまで在籍)

 

1955年 赤坂のキャバレー「ラテン・クオーター」に出演。

      江利チエミの伴奏を初めて担当し劇場に進出し, 江利チエミと全国巡業を行う。

      この頃に江利チエミと録音されたSPレコ-ドがある。(詳細な録音年月日は不明)

       ●<ウスクダラ><夢みるあの人>(キング:CL-160 SP)

       ●<ロック・アンド・ロ-ル・ワルツ><ラブ・ミ-・オア・リ-ブ・ミ->(キング:CL-196 SP)など。

 

      この年メンバーのエデイ岩田(ds)が「ポーク・チャップ」結成のためメンバー6名脱退する。

 

 

 

 

 

1956年〜1957年 人気急上昇、初のポール・ウイナーとなる!

 

1956年 この年,スイングジャーナル誌のリーダーズ・ポール〜ビッグ・バンド部門で初のポール・ウイナーとなった。

      4/15「サンデイ・ジャズ・コンサート」に出演。

            ●キング・レコードよりLP化。「ハイカラー・クラブ〜サンデイ・ジャズ・コンサート」(LKB-1)

            <フロア・ショー 佐藤愛子編曲>を収録

 

      9/6  出演中の「ラテン・クオーター」が原因不明の火災を起こす。

            400万円分の楽器と譜面400曲を失う。

            この時,守安祥太郎のアレンジした全譜面を焼失する。

            2日後,日劇でスタン・ケントン特集を借楽器で演奏。

 

      10/27 「第6回SJオール・スターズ・コンサート」出演。(ヤマノ・ホール)

            TBSラジオが生中継を行なった。

            ●キング・レコードが録音を行ないLP化される。 「SJオール・スター・バンド」(LKB-2)

            <*リズム・イン・シャープ><*シーズ・フアニー・ザッツ・ウエイ>収録

            原信夫,森剛康(ts),向井周,工藤正人(as),原田忠幸(bs)

            森川周三,河本豊弘,本木英夫(tp),谷山忠男,浜水俊朗,田中彰(tb)

            佐藤愛子(p),山下高司(b),佐藤敏夫(ds)

            半間厳一(comp,*arr)

            (EP盤でも発売され初リーダー作となった)

 

      秋  谷山忠男(tb)再入団。

 

      12月  銀座「モンテカルロ」が開店し専属出演となる。

 

      ●この頃キング・レコード「ミッド・ナイト・イン・トーキヨー」収録(ナイト・クラブ出演ビッグ・バンドのオムニバス盤)

       <リラの花咲く頃>収録

 

1957年 1月 ベニー・グッドマンorchで来日中だったピーナッツ・ハコー(cl),バッド・ジョンソン(ts),ジョン・フロスク(tp)

         とNHKラジオ番組で共演。(収録:NHKホール)

 

      8/19,20 ●ジョージ川口,ジミー竹内,白木秀雄の3ドラムスをフイーチャーして

             キング・レコードに「ドラム・スコープ」を録音する。(LKB-8)

             <インデアン・ラブ・コール><キング・ジョージ><コンチネンタル><南京豆売り>

             <ベサメ・ムーチョ><マレット・フアンタジー><ドラム三銃士>収録

 

      夏  鈴木弘(tb),前川元(as)入団。

 

      11/10,12 「第7回オール・スターズ・ジャズ・コンサート」に出演。(ラジオ東京ホール)

           ●東芝が録音,LP化。(東芝〜エンジェル:JLP-1001

           <ベイシー・ミーツ・エンジェル(ニュー・ベイシー・ブルース)>収録

 

      草笛光子の「光子の窓」(NTV)にレギュラー出演。(番組終了まで出演する。)

      この頃,ポール・ギャロウエイがオリジナル作品を提供する。

 

 

 

 

 

1958年〜1959年 初リサイタル開催、NHK交響楽団と共演

 

1958年   5/2  「キング・ジャズ・フエステイバル」に出演。(産経ホール)

             ●キングレコードからLP化。<フライング・ホーム>収録。

      10/15 「スイングジャーナル・オールスターズ・ジャズ・コンサート」に出演。(神田・共立講堂)

             ●東芝が録音,LP化 (LP-10078)

              原信夫,森剛康(ts),前川元,工藤正人(as),山屋清(bs)

              森川周三,河本豊弘,篠原国利,光井章夫(tp),浜水俊朗,田中彰,鈴木弘(tb)

              松本憲靖(p),山下高司(b),武藤敏文(ds)

              <恋の痛手><越天楽><神経学comparr山屋清>収録

      

10/18 第1回リサイタルを日比谷公会堂で行なう。司会:志摩夕起夫 (ジャズバンドでは初のリサイタルであった)

              原信夫,森剛康(ts),前川元,工藤正人(as),山屋清(bs)

              森川周三,河本豊弘,篠原国利,光井章夫(tp)

              谷山忠男,浜水俊朗,田中彰,鈴木弘(tb)

              松本憲靖(p),山下高司(b),武藤敏文(ds)

 

第1部:〜シャープス・ヒットナンバー集として〜

                  <タイフーン><ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス><白鳥の湖><ジェラシー>

<カクテル・フォー・ツウ><ラブ・フォー・セール><オータム・セレナーデ><ワン・オクロック・ジャンプ>

                 〜メンバー・フィーチャーリング〜

                  <キャラバン 谷山忠男tb>ヴォルガの舟 唄山下高司b>

<ドラマーズ・ドリーム 武藤敏文ds><ツィゴイネル・ワイゼン 森川周三tp>

             第2部:〜創作の中より〜

                  <ソフト・ドリンク  by八城一夫><コージー・コーナー by山屋清>

<ザ・ダンス・オブ・ジ・アフリカン・ロブスター by山屋清><シャープス・アンド・フラッツ・スイング byポール・ギャロウェイ>

             第3部:〜リサイタルの為に〜

                  旗照夫,笈田敏夫,ペギー葉山,江利チエミvo のゲスト出演

             第4部:〜シンフォニック・ジャズ〜

                 <ラプソディ・イン・ブルー feat佐藤愛子p><ナイト・アンド・デイ><十番街の殺人>

                

                アンコール曲として次の曲が準備された

                <シーズ・ファニー・ザッツ・ウェイ><ハーレム・ノクターン><フライング・ホーム><アフター・ユーヴ・ゴーン>

 

●キング・レコード録音,LP化 「シャープスアンドフラッツ リサイタル」(KC-6)

              <ブルー・フレーム><タイフーン><ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス><ボルガの舟歌><ジェラシー>

              <ドラマーズ・ドリーム><&♭スイング><ワン・オクロック・ジャンプ><キャラバン><ソフト・ドリンク>収録

      

 

10/20 「日本のジャズ戦後10年の総決算」コンサートに出演。(日比谷公会堂)

      この頃昼TV・ラジオ,ステージ,夜「モンテカルロ」出演,夜中「ローズハウス」出演で,

      月間90〜100回のスケジュールをこなしていた。

 

      この頃鯉沼利成(後の名マネージャー)がバンドボーイで入団。

      原さんを助け,60年代のシャープ黄金時代を築き上げる。

 

1959年 1月 竹内弘(b)入団。

      2月 東京労音を中心に本格的演奏活動を開始する。

         2月 米子労音など山陰地方ツア−

         8月 大阪労音8月例会22回公演。司会:大橋巨泉 笈田敏夫,小川洋子(vo),

      2/28  「フジテレビ開局記念番組」に出演。(産経ホール)

      6/13,14,15 NHK交響楽団定期演奏会に客演。大成功を収める。

             指揮:ウイルヘルム・シュヒター

             作品:ジャズバンドとオーケストラのための協奏曲(リバーマン作曲)

      夏     岡崎広志(as)入団。

      7/28「白木秀雄リサイタル」にゲスト出演(東京サンケイホール)

          福原彰(tp),松本英彦(ts),世良譲(p),栗田八郎(b),ジョーヤ増渕(conga)

      8月    第1回軽井沢合宿 (前田郷 以降毎年行なわれる)

      11/1  第2回リサイタル(産経ホール)