「さ」行
斎尾知一(さいお ともかず)tp 1950年2月20日鳥取県生まれ
東京ユニオン、キューバンボーイズを経て1980年2月ゲイスターズ入団
坂川篤(さかがわ あつし)ts 1967年10月8日東京生まれ
1988年ゲイスターズ、1994年〜95年、2000年ニューハードで活躍
坂田稔(さかた みのる)ds 1945年6月13日
上京後渡辺辰郎5、尾田悟4等コンボを経て、1980年12月ニューハードに入団。
現在も同バンドで活躍中
相楽賢哉(さがら けんや)tb,leader 1966年千葉県生まれ
大学時代は明治大学ビッグサウンド・ソサエテイオーケストラに在籍しながら他大学の多くの
ビッグバンドでも演奏する。卒業後は佐久間勲、三塚知貴ら早稲田ハイソ、慶応KMP,
日大、国立音大等有力学生ビッグバンド出身のOBを集めてフアン・ブラザース・ワークショップを結成する。
「ポップなジャズで心の底から楽しめる」グルーヴィーなビッグバンドを目指し、赤坂Bフラットを
中心にライブ活動を展開している。
桜井英顕(さくらい ひであきら) 琴 アフリカン・ドラム 1948年8月24日 東京都生まれ
故人 国立音楽大学器楽科卒業。大学での専攻はトランペットだった。
7歳から祖母より地唄を教わり、12歳から琴(山田流)を学び、吾孫子松風師に師事。
16歳からは三味線を学んでいる。
1960年から朝日新聞社が全国に展開した「朝日ジュニア・オーケストラ」に参加しプロ活動を行う。
琴曲と諸外国の民族楽器の融合をめざした音楽活動をおこなった。
1970年に琴奏者、フルート奏者らと「須磨の嵐」を結成しレコーディング(日本コロムビア、東芝)
ニューハードの「四つのジャズコンポジション」(70年)に琴でゲスト参加。
佐藤允彦「恍惚の昭和元禄」(70年)のおどろおどろしいvoiceは彼。
NHK「新・平家物語」(72年 音楽:富田勲)の音楽に琴演奏で参加。
映画「子連れ狼」の音楽も担当した。白土三平を尊敬した。
桜井正巳(さくらい まさみ)b
1976年〜77年シャープスアンドフラッツで活躍
佐々木秀人(ささき ひでと)tp 1952年2月27日秋田県生まれ
1974年SMCオーケストラ、1978年ゲイスターズで活躍。
佐々木史郎(ささき しろう)tp 1962年 東京生まれ
武蔵野音大卒業後、山下洋輔パンジャスイングオーケストラ、東京ユニオン、92年ニューハード。
で活躍。その後スタジオワークで多くのレコーデイング、ライブサポート等で活躍。
またオルケスタ・デ・ラ・ルスにはリード・トランペッターで参加し多くの海外楽旅も経験する。
現在は熱帯JAZZ楽団、深井克則のビッグバンド、野口久和オーケストラ等の
リハーサルオーケストラ、スタジオワーク、自己のソウル・トゥイスターズ等で活躍中。
またCMの作・編曲も手がけている。
佐藤イサオ(さとう いさお)ds
1955年1月〜5月頃まで原信夫とシャープスアンドフラッツで活躍
ウガンダ・トラの実父。
佐藤俊次(さとう しゅんじ)tb 1948年9月18日青森県生まれ
ブルーシャトーオーケストラ等を経て1976年〜77年頃までシャープスアンドフラッツ、
一時休養後1980年頃よりシャープに再入団。現在に至る。tb本来の中・低域を生かした渋いソロを聴かせる。
佐藤達哉(さとう たつや)ts,ss 1957年12月23日東京生まれ
早大卒業後プロ入り。在学中にLPを吹き込んでいる。(スクリーマーズ・スタッフ)
多くのコンボ、自己のグループ、山下洋輔パンジャスイングオーケストラ、
東京リーダーズビッグバンド、角田健一、砂田知宏、香取良彦ら多くのリハーサルビッグバンド
で活躍中。2003年からシャープスアンドフラッツ入団。現在最も多忙なテナー奏者の1人。
佐藤春樹(さとう はるき)tb 1953年3月8日秋田県生まれ
1年サラリーマンを経験後、仙台でプロ入り。3年後上京。以降生活向上委員会(数枚の
LP有り)、その他多くのコンボで活躍。近年は東京リーダーズビッグバンド、
守屋純子、木幡光邦らのビッグバンドで活躍中。
佐藤允彦(さとう まさひこ)p,comp,arr 1941年10月6日東京両国生まれ
5歳でピアノとバイオリンを始め、高校生の17歳でジャズを演奏し始める。(夜のクラブ)
ジョージ川口BIG4+1に参加しプロミュージシャンとしてスタートする。
高見健三とミッドナイトサンズ、稲垣次郎5、自己のトリオやカルテットで活躍。
慶應大学経済学部を主席で卒業後、ダウンビートの奨学金を得て1966年〜68年バークリーで作・編曲を学ぶ。
バークレーでウイリアム・マローフ、ハーブ・ポメロイに師事。
帰国後自己のトリオで活動を開始、同時にニューハード、シャープに作品を提供。
特に1969年から70年前半までニューハードと組んで録音した諸作はいずれも高い評価をうけている。
2000年のニューハード50周年コンサートでは久々に新作書き下ろしを発表した。
演奏活動のみならず映画音楽、TV、CMの作曲等で大活躍、多くのミュージシャンに作品、編曲を提供し
前田憲男と並び、我が国を代表する作・編曲家。
佐波博(さなみ ひろし)tp 1936年6月30日神奈川県生まれ
1961年10月〜79年頃までシャープスアンドフラッツ。1970年「オリヴァー・ネルソン
イン・トーキョー」のサーモネットでソロが聴ける。その後スイングビーバーズ
で活躍。
佐野健一(さの けんいち)tp 1933年11月23日
洛北高校卒業。1955年チャーリーリリオ楽団、新良真一郎スイングユース、ゴリオ・コンデ、
ブルースカイ、松尾三郎とミュージカルナイツ、徳富彰とマスターサウンド、松田運とブルーソックス、
等いくつかのバンドを経て1964年〜73年ニューハードで活躍
塩井重夫(しおい しげお)as
1958年〜66年ニューハードで活躍
塩崎浩二(しおざき こうじ)g 1963年11月8日愛媛県生まれ
1994年頃よりニューハードで活躍中。
塩村宰(修) (しおむら おさむ)tb,b,comp,arr 1952年1月22日金沢生まれ
早稲田大学卒業。早大ハイソ出身。1974年11月〜78年ニューハードに参加、作・編曲も提供し活躍。
ニューハード退団後はフリーとなり多くのミュージシャンと共演。映画音楽も手がける。
1979年には東京ユニオンに作品を提供しLP化(ザ・シテイ)
1990年金沢に帰郷しビッグバンドのプレスティッジジャズオーケストラを率いて活動している。
近年はベースを手掛けている。
式田純 (シキタ純)(しきた きよし)エンターテインメント・プロデユーサー 1951年生まれ
総合商社の丸紅に勤めていたが退社。カセットマガジン「TRA」刊行する。その後POPグループ
「ショコラーダ」や「ファンゥマスターゴーゴー」をプロデュース。
1991年3月のある夜、ビッグバンドを指揮する夢を見る。その翌日から
メンバーを探し始め、ロックビッグバンドのザ・スリルを結成する。
同年12月21日東京芝浦で同バンドの初ライブを行い、
翌年レコーデイングを行い初CDを発売。1995年、他のメンバーとのコンセプト
の相違からスリルを退団。その後はプロデューサーなどで活躍中。スリルは現在も活動中。
母は評論家・式田和子。
篠崎秀樹(しのざき ひでき)ts ss fl comp arr 195・年 生まれ
早稲田大学卒業。同大ハイソサエティオーケストラ出身。
1970年代後半のハイソ黄金時代のメンバーの一人。77年ハイソLP「ハイウェイ」参加。
1986年スィートファンタジアオーケストラを結成し活躍。CD有り。
篠原国利(しのはら くにとし)tp 1935年11月30日神奈川県生まれ
戦後間もなく米軍キャンプのチャーリーロコ楽団でプロ入り。
1957年〜70年シャープスアンドフラッツで活躍。1960年代を代表するハイノート・ヒッター。
同バンドに多くのLPがある。退団後スタジオワークに専念していたが、1976年来日
したギル・エヴァンス自らの指名でギルエバンスオーケストラのリードtpを担当し日本国内、
東南アジアをコンサート・ツアー。現在はブルーコーツで活躍中。愛称チービ。
柴田恒雄(しばた つねお)b
1934年東京都生まれ
1960年芦田ヤスシとメローノーツ、保坂俊雄とエマニアーズ、藤家虹二5、松宮庄一郎とシックスジョーズ、
稲垣次郎5、小俣尚也とドライビングメン、大沢保郎3、八城一夫3、松本英彦4、
岡崎広志とスターゲイザース等で活躍。
しばたはつみvo (はつみかんな 麻まにか) 1952年4月11日東京生まれ
2010年3月27日死去。両親ともにジャズミュージシャン。(父は柴田泰 ジャズピアニスト 母はボーカリスト)
1958年より米軍キャンプで歌いはじめた。11歳(小学5年)の頃スカイライナーズの専属となる。
15歳の頃レナウンのCMソングを歌う。その後世良譲に師事。
1972年渡米しクラブで活躍後
1974年帰国、レコードデビュー(合鍵)、シャープのリサイタルにゲスト出演。
TVサウンド・インSに出演し人気を得て、ステージ、テレビ、ライブ等で活躍。
松本伊代とは再従姉妹(はとこ)
渋谷毅(しぶや たけし)p,comp,arr 1939年11月3日東京生まれ
東京藝術大学作曲科。菊地雅章と藝大で同期。松岡直也に師事。沢田駿吾3でプロ入り。
1963年G川口ビッグ4、大矢隆敏とハイウェイサウンズ等で活躍後独立した。
初アレンジの仕事はこの頃にニューハードに提供したバット・ノット・フォー・ミーだった。
1963年〜64年にかけて僅かの時期にシャープスアンドフラッツ在団。
近年は自己のビッグコンボ・渋谷毅オーケストラでも活躍中
渋谷武志(しぶや たけし)ts
1979年〜80年ニューハードで活躍
ジミー竹内(じみー たけうち)ds 1931年6月29日東京生まれ
本名は竹内和三郎 2009年12月29日肺炎のため死去。山形県大月中学校卒業後予科練。
JCハード、ジョー・モレノに師事。
1951年シャープスアンドフラッツの結成に参加。1953年まで活躍しその後ブルーコーツ、
リズムエース、シックスジョーズ、ドライビングメンなどで活躍しその後再びシャープに1963年〜65年まで再入団。
その後スタジオワークで活躍。多くのレコーデイングがある。
清水万紀夫(しみず まきお)as,cl 1935年3月5日東京生まれ
父は東松二朗(リーダー)、母は清水君子vo。国立音大卒業。在学中より米軍キャンプで演奏。
奥田宗宏G、池田操リズムキングで活躍。大学卒業と同時にブルーコーツ入団、
その後稲垣次郎ソウルメディア、猪俣猛サウンドリミテッド、1971年猪俣猛とザ・サードで活躍。
白井淳夫(しらい あつお)as,cl 1945年2月19日福井県生まれ
名城大学時代に名古屋市のキャバレーでプロ活動を開始する。和田直5、井口純夫5などを経て
1973年10月〜78年3月、黄金期ニューハードで活躍。
モンタレージャズフェスティバル(1974年)、ニューポートジャズフェスティバル(75年)、
中南米ツアー(ベネズエラ、ボリビア、チリ、コロンビア 78年)等にニューハードのメンバーで参加。
同バンド在団中に参加したLPが多数あり、アート・ペッパーにもそのソロを褒められた名手。
ニューハード退団後1978年12月ブルーコーツにリードアルトで入団。
1981年に故郷の福井県に帰郷し会社員生活を送るがジャズへの情熱は冷めず、
1883年コンボの「フクイ・ジャズ・カルテット」結成、
1986年にはビッグバンド「フクイ・スインギン・ジャズ・バンド」を結成した。
1987年ライブハウス「シライハウス」を開店。自己の音楽活動の拠点となる。
以降今日までDJ、学校での音楽指導、CD製作、コンサート活動等多くのジャズ文化の
啓蒙活動を行い活躍中。
塩村宰と共に北陸ジャズシーンを牽引。(二人はニューハードで同期)
白木秀雄(しらき ひでお)ds 1933年1月1日東京生まれ
東京藝術大学中退。1972年8月31日死去。1958年に自己のクインテットを結成、
一流プレイヤーをメンバーにして、ファンキーブームにも乗って最高の人気コンボとなり一世を風靡する。
また日野皓正、稲垣次郎、村岡建ら多くの有能なプレイヤーを輩出した。
ビッグバンドでは芸大在学中に長尾正士とブルーコーツ入団。1952年の暮れの一時期、
シャープスアンドフラッツで活躍。
白子正夫(しらこ まさお)bs 1948年3月27日東京生まれ
東京工業高校卒業。1966年中島千朗とハイウェイコーナー、佐藤正夫とジョーカーサウンズ
ダニー菅野とハバナキューバン、片岡学とエスカイアーズ、
1971年からブルーコーツ、1980年4月からゲイスターズで活躍
白須正義(しらす まさよし)tb
1954年〜55年シャープスアンドフラッツで活躍。
白山文夫(しらやま ふみお)tp
1974年〜75年ニューハードで活躍
白沢茂(しらさわ しげる)tp
1980年〜81年ニューハードで活躍
ジョージ川口(じょーじ かわぐち)ds 1927年6月15日京都府西宝寺生まれ
2003年11月1日死去。本名川口譲治。父・川口養之助は日本ジャズメンの草分け的存在。
1947年横浜の進駐軍クラブ「ニューヨーカー」の三木鶏郎バンドへ入団し、プロ入り。
その後アズマニアン、ゲイセプテット等で活躍し52年にジョージ川口ビッグ4を結成、
中村八大、松本英彦、小野満を擁し、一世を風靡する超売れっ子バンドになった。
1965年1月には自己のオーケストラを結成、同年2月の自己のリサイタルにも出演した。
その後もオールスタービッグバンド等の多くの臨時編成バンドでドラムを担当し、
熱狂的なドラミングで聴衆を沸かせ、ジャズフェス等では欠かせない存在であった。
近年はシャープスアンドフラッツとの共演も多かった。また自己のニュービッグ4でも活躍した。
ジョン・ペレット(Jhon Prett)ds
1992年に半年ほどシャープスアンドフラッツで活躍。同バンドの4代目外国人ドラマー。
「ビッグバンド・ビッグ・ボス3」は契約が切れたペレットの帰国を惜しんで急遽録音、のちにCD化された。
菅原昭二 すがわら しょうじ(菅原正二) 1942年5月23日岩手県一関市生まれ
高校時代はブラスバンドでトランペットを吹く。早稲田大学のハイソサエティー・オーケストラ
に入りたくで早稲田を受験する。3浪後に早稲田に入学。浪人時代に「ベイシー・イン・ロンドン」
を聴きその後の人生が決まる(「感動のあまり身体が震えた」)。念願のハイソに入りドラムスを叩く。
2年の時レギュラーになり、全国大学対抗バンド合戦で優勝。(司会は大橋巨泉)
3年生の時バンマス、全国大学対抗バンド合戦で3年連続全国優勝。 1967年にはハイソで米西海岸
演奏旅行を敢行。4年生時にはハイソと東京パンチョスを掛け持ちで演奏活動。しばらくして持病が悪化、
この時郷里に帰りジャズ喫茶を始めることを考え、一関に帰郷・静養。自宅にあった土蔵を改築し、
1970年6月、ジャズ喫茶「ベイシー」を開店する。
1980年3月にはカウント・ベイシーオーケストラ岩手公演を実施、公演終了後カウント・ベイシーはじめ
ベイシーバンド全員が「ベイシー」を訪問した。「ベイシー」はいまや日本を代表するジャズ喫茶として
全国のファンが訪れる。レコードを演奏する男。
杉本幸久(すぎもと ゆきひさ)b
1950年代〜64年ニューハードで活躍
鈴木和雄(すずき かずお)as.cl 1947年3月10日
府立布施高校卒業。1965年大阪でプロ入り(吉川誌郎とシュガーリップス)。上京後ビル柿崎4、
雪村いづみの伴奏楽団、植松孝夫4、東京ユニオン、
世良譲クインテットを経て再び1971年頃東京ユニオンで活躍、
1974年〜78年鈴木孝二の後任でシャープスアンドフラッツのソロイストで活躍。鈴木重男の実弟
鈴木孝一(すずき こういち)tp 1957年11月11日
武蔵野音楽大学。父も神戸でバンドリーダーを務める。1981年3月、東京ユニオンに入団、プロ入り。
1987年9月よりリード・トランペッターで活躍。
ハイノート・ヒッターとしても人気がある。同バンド解散後は、リハーサルビッグバンド、シャープスアンドフラッツ、
スタジオワーク等で活躍中。また近年は、アマチュア・ビッグバンドの指導にも
力を入れ活動中。
鈴木孝二(すずき こうじ)as.cl 1939年1月28日東京生まれ
国立音大クラリネット科卒業。高校3年生の時に見た映画「ベニー・グッドマン物語」
を見ていたく感動。N饗の大橋幸夫に師事。大学時代にJ・マクリーンを聴き大ショックを受け、
アルトサックスに転向。サックスは独学で修める。杉原淳とイーストサウンズ、五十嵐武要のコンボを経て日野兄弟、
菊地雅章、富樫雅彦らと米軍キャンプを回る。菊地には多くのアドバイスを
受ける。その後沢田駿吾とダブルビーツ、新世紀音楽研究所、藤田正明、宇山恭平のコンボ、
自己のコンボや西村昭夫とのコンボで活躍。その後エディ岩田とニュー・パシフィック、
森剛康とゲイスターズを経て1967年4月シャープスアンドフラッツにメインソロイストで入団、活躍。
1967年のニューポートジャズフェスにも出演。
1974年6月には第二黄金期ニューハードにリードアルトに迎えられる。モンタレー、
ニューポートJF出演。その後1978年夏にシャープに復帰。美しい音色、よく歌う安定したソロで
2002年までシャープのメインソロイストで活躍。
シャープ、ニューハード時代の多くのLPがある。
1998年からは外山善雄とデキシー・キングスでも活躍中。コウちゃん。
日野皓正の代表作「アローン・アローン・アンド・アローン」の曲名をつけた。
鈴木重男(すずき しげお)as 1935年10月10日大阪市生まれ
布施工業高校卒業。1971年1月のミンガスとニューハードのセッションにゲスト参加した。
鈴木淳(すずき じゅん)as 1939年4月8日東京都生まれ
江口朝彦に師事。1961年ジョージ川口BIG4+1、小俣尚也とドライビングメン、
ブルーコーツ、石川晶とミッドナイトサンズを経てスタジオワークに入った。
富樫雅彦=鈴木弘5、前田憲男3、猪俣猛サウンドリミテッド、ザ・サードに在団。
鈴木弘(すずき ひろし)tb 1933年11月12日神奈川県横浜市生まれ
16歳の頃からキューバンボーイズの金田芳一に師事。
国立中学卒業後1950年頃(17歳)神月アンドコロニアンズでプロ入り。
その後デキシーのコンボ、ビリー・コンデ、ゲイスターズ、
キューバンボーイズを経て1957年〜59年シャープスアンドフラッツ、
1959年〜67年ニューハード、この頃には素晴らしいテクニック、モダンなフレーズ・感覚で
最高のモダン・トロンボーンの地位を確立。シャープ在団中に菊地雅章を知り、
コンボプレイヤーへの決意を固める。菊地からは多くのアドバイスを受け意気投合。
1967年3月に石川晶ミッドナイトサンズに参加。
1967年12月には来日したバデイ・リッチに認められ同バンドで演奏。
又一方富樫雅彦と双頭クインテットを結成し活躍。
タクトにLPを残す。その後1968年〜71年までシャープに戻ったがニューハードにも臨時で
参加。両バンドに多くのLPを残す。1960年代後期のシャープのメインソロイスト。
1970年頃はフリーダムユニティにも参加。
多くを期待されていたが1971年3月に突然渡米。現在ラスベガスでボス的存在らしい。
愛称ネコ。
鈴木宏昌(すずき ひろまさ)p,elp,comp,arr 1940年5月26日東京生まれ
2001年5月21日死去。慶応義塾大学卒業。1962年プロ入り。G川口ビッグ4+1, 小俣尚也とドライビングメン
ブルーコーツ、石川晶3、1968年日野皓正クインテット、フリーダムユニティ等で活躍。
その後コルゲンバンド〜プレイヤーズを結成し活動を続けた。
コルゲン。
鈴木正男(すずき まさお)as,cl 1937年横浜生まれ
1961年頃ニューハードで活躍。その後ニューブリード等を経てスタジオワークに入る。
1986年スイングタイム(ビッグバンド)を結成し月1回ライブハウスに出演中。
簾健一(すだれ けんいち)tb
1976年〜78年東京ユニオンで活躍
砂原俊三(すなはら しゅんぞう)bs 1935年7月25日
専修大学。1954年東京パンチョス、芦田ヤスシとメローノーツ、千葉薫とディグファイブ、
浜水俊朗とゲイスターズを経て1961年〜72年ニューハードで活躍
スマイリー小原(すまいりー おはら)ldr,sax,acordion 1921年1月2日
1984年4月31日死去。明治大学卒業。学生バンドで活動、軍の慰問団長も勤めた。
戦後自己のビッグバンド「ブルーノートセブン」を結成し、長く米軍キャンプで演奏。
その後スカイライナーズと名前を変え、TV(スパーク・ショウ、スマイリー・ショウ、ザ・ヒットパレード等)、
ステージ、クラブで活躍。洗練された演奏で人気ダンスバンドとなる。踊る指揮者。
隅山時一(すみやま ときいち)tp 1935年6月2日東京生まれ
明治大学付属中野高校卒業。1954年磯部桂介とスイングマスターズでプロ入り。
兄弟3人もバンドマン。多くのビッグバンド、コンボで活躍後、
1970年〜72年、シャープスアンドフラッツのソロイストで活躍。
鋭角的でモダンなフレーズ、輝かしい音色等日野皓正を思わせるソロで
シャープ歴代最もモダンな感覚のソロを聴かせたtp奏者。退団後はキューバンボーイズ、
スタジオワークで活躍。故人。
関厚雄(せき あつお)tb
1959年シャープスアンドフラッツで活躍
瀬川昌久(せがわ まさひさ)ジャズ評論家 1923年6月18日東京生まれ
東京大学卒業。日本ビッグバンドの守護神。日本のジャズの発展、理解、底辺拡大のために
早い時期から愛情・情熱を注ぎ評論、執筆等を通じ啓蒙活動を行う。
LP・CDのライナーノートも膨大。現在でもミュージカル、コンサートの企画、
司会、評論と大活躍中。
空本清光(そらもと きよみつ?)as
1973年〜74年ニューハードで活躍