「ま」行
マイク・レズニコフ(Mike Reznikoff) ds 1947年2月28日NY生まれ
1978年来日。金井英人、土岐英史、高瀬アキ等のコンボで活躍後1987年4月〜88年4月まで
シャープスアンドフラッツで活躍。同バンドの3代目外国人ドラマー。「Mr.ソウルマン」の録音がある。
小宅珠実(fl)は夫人。
マイケル・ホワイテッド(Michael Whited) ds 1946年生まれ米国オハイオ州出身
7才からドラムスを始め独学でマスターした。米国ではW・ハーマン、R・コール、M・ジャクソン
等と共演。1983年にグレンミラーorchのドラムスで来日し、シャープスアンドフラッツのリズムセクシヨン強化のため
1984年4月〜86年3月までシャープで活躍。同バンドの初代外国人ドラマー。
当初1年契約だったが好評のため2年在団。「ビッグバンド・ビッグ・ボス」、「ジャズ・クレスト」
の2枚のアルバムを残す。
前川元(まえかわ はじめ)as,cl 1931年2月23日
1985年3月15日死亡。1950年プロ入り。自分でも覚えていないほど多くのバンドで(約40バンド)
吹いた。1953年松本伸とニューパシフイック、1956年宮間利之とジャイブエーセス、
1957年シャープスアンドフラッツ入団。1960年に一時他バンドに移ったが1962年にシャープ再入団。
リードアルトで同バンドの発展に貢献。リードマンとして正確な音程、読譜で最高の実力を誇ったが、
甘い音色のソロも絶品。
前田章二(まえだ しょうじ)ts 1941年4月3日東京生まれ
1961年頃〜72年ニューハードで活躍
前田憲男(まえだ のりお)comp,arr,p 1934年12月6日
大阪府立桜塚高校卒業。ピアノは独学で習得。1955年10月に上京。沢田駿吾ダブルビーツファイブに入団。
1959年高見健三とミッドナイトサンズ、その後西条孝之介とともにウエストライナーズで活躍し
アレンジとピアノを担当。1959年4月、三保敬太郎、山屋清と「モダンジャズ3人の会」を作り、
日本ジャズ界の作・編曲分野に大きく貢献、シャープ、ニューハードをはじめ多くのビッグバンド
にも優れた作・編曲を提供し、バンドの個性に合わせた編曲、音作り、そのすべてが高い評価を得ている。
シャープの「A列車で行こう」、ニューハードの「ドナ・リー」などは同曲の最高の編曲といえる。
1971年に猪俣猛と優秀なスタジオミュージシャンを集めたリハーサルビッグバンド、ザ・サードを結成し、
すべての編曲を担当。また1980年にウインドブレーカーズを結成し現在まで活動中。日本が世界に誇る作・編曲家である。
増根哲也(ましね てつや)b 1962年12月1日東京生まれ
神奈川大学卒業。1991年ニューハード入団。活躍中。
増尾好秋(ますお よしあき)g 1946年10月12日東京生まれ
早稲田大学卒業。1967年暮れ、渡辺貞夫4でデビュー。渡辺貞夫の単身渡米により1968年6月頃より
約3ヶ月、シャープスアンドフラッツに臨時参加している。同バンドでの録音もある。
松井三樹(まつい みき)bs
1972年5月〜12月ニューハードで活躍
松永貴志(まつなが たかし)p,org 1985年?
5才から独学でピアノを始める。10才でハモンドB3を弾いて初CDを録音。
11才の時から北野タダオにジャズピアノを師事。2001年、15才でプロデビューコンサート
をアロージャズオーケストラとの共演で行う。この年大阪ブルーノートに同バンドと出演。
2002年に銀座ヤマハホールでコンサートを行った。2003年には本格的デビューCDを録音し東芝より春頃発売予定。
超期待の新人登場。小曽根真の再来か!?。
松原純夫(まつばら すみお)tb 1957年3月15日
1978年ワールドシャープスでプロ入り。79年平林健治とヤングセンチュリーズ、
シャープスアンドフラッツ、80年ゲイスターズで活躍。
松林辰郎(まつばやし たつろう)tb
大阪で活動後上京。1979年春シャープスアンドフラッツ入団。1年ほど活躍後
1983年頃まで東京ユニオンで活躍。
松本文雄(まつもと ふみお)tp 1926年7月7日
陸軍戸山学校卒業。1945年東宝交響楽団に入団。1947年東松二郎とアズマニアン、1949年スターダスターズ
等を経て1956年11月に敬愛するハリー・ジェームスのバンド名にあやかった
自己のミュージックメイカーズを結成。スイング・スタイルに徹した演奏スタイルで人気
を得て、TV、ステージ等で活躍。
松本治(まつもと おさむ)tb 1957年2月25日大阪生まれ
ブルーコーツ、シャープスアンドフラッツ、東京ユニオンで活躍。
松本正嗣(まつもと まさつぐ)g 1947年2月12日
大学時代はロックバンドに参加。その後ジャズに興味を持ち1974年シャープスアンドフラッツ入団。
アミーゴ川上とツインギターで活躍。1976年に退団後大橋純子のバックバンドで活動。
1978年三木敏吾インナーギャラクシーオーケストラに参加。
現在は故郷の鳥取で活躍中。夫人は菊池ひみこ。
松本全芸(まつもと まさき)p 1963年神奈川県生まれ
慶應義塾大学〜バークレー卒業後、1995年よりニューハードで活躍中。
松本憲靖(まつもと けんせい)p,comp,arr
1958年〜59年シャープスアンドフラッツで活躍。同バンドに編曲も提供。
間中忠和(まなか ただかず)b
1975年の一時期ニューハードで活躍。
丸山繁雄(まるやま しげお)vo,leader 1951年6月22日新潟県生まれ
早稲田大学。1974年デビュー。古沢良治郎、向井滋春、本多俊之らと活躍後、1984年9月酔狂座オーケストラを結成。
1年間定期コンサートを開催する。(当時母体オーケストラは、東洋大グルヴィーサウンドorch等の
カレッジビッグバンド。それに大友義雄らプロミュージシャンが加わっていた模様)
1991年にメンバーを再編し活動を再開。1993年4月にヤマハジャズフエステイバルに出演したライブが
CD化された。
馬渡誠一(まわたり せいいち)sax,comp,arr 1914年10月10日東京生まれ
慶應義塾大学卒業。スイングオルフエアンズ(ブルーコーツの前身バンド)、ブルーコーツ、CBナイン等で活躍。
1952年から57年まで人気投票1位(作・編曲)。1953年頃より作・編曲に専念。
見砂直照(みさご ただあき)leader 1909年8月30日石川県金沢市生まれ
東洋音楽学校卒業。1949年9月に当初11人編成で我が国初のラテン専門バンド、東京キューバンボーイズを結成。
1953年10月頃からはステージ出演を中心に活動し、海外バンドの模擬ではない、キューバンボーイズ
独自のスタイルをつくりあげてきた。1979年末に解散するまで、我が国NO.1
ラテン・ビッグバンドとして君臨した。軽音楽の分野で初めて芸術祭奨励賞を受賞し
たのをはじめ、(祭りの四季)、その活動は高く評価されている。
膨大な数のレコードを各社に録音しており、現在でも非常に人気がある。子息(見砂和照)が時折旧メンバー
を集めてコンサート活動を行っている。このバンドから、旅立った優れたプレイヤーも膨大である。
三木敏悟(みき びんご)comp,arr,leader,ts 1946年4月2日旧満州生まれ
国際基督教大学でテナーを始める。同大学を中退後ウィーンに渡り同地でロックバンド結成。
その後渡米、バークレー卒業後、1975年帰国。東京ユニオンにテナー奏者で入団。LP「ガット・ザ・
スピリット」でソロが聴ける。その後作・編曲に専念し77年東京ユニオンにスコアを提供
した「北欧組曲」で日本ジャズ賞を受賞。1978年6月、自己のインナーギャラクシーオーケストラ
を結成して活躍した。1979年には同バンドで13thモントルージャズFESに出演。好評を博す。
御子柴秋彦(みこしば あきひこ)ts ss comp arr 1950年代後半の生まれ
早稲田大学卒業。70年代後半の全盛時代早大ハイソサエテイorchを牽引、コンサートマスターを務めた。
ヤマノのコンテストでは1977年優秀賞 78年最優秀賞 78年最優秀ソロイスト賞
79年敢闘賞を受賞。
1977年ハイウェイ(フォノグラム bs担当)と1978年小さな箱の中で(キング)をハイソで録音。
早大卒業後はプロに進まず会社員となりご奉公。
現在は奈良市在住。京阪神、東京で演奏活動を継続中。
光井章夫(みつい あきお)tp 1933年1月27日東京生まれ
荒川商業学校卒業。1951年に高見彰とブルーリズムでプロ入り。1953年〜55年シャープスアンドフラッツで活躍。
その後小野満とシックスブラザース、ブルーコーツ、スターダスターズ等で活躍。
三塚知貴(みつか ともき)tb 1976年1月23日東京生まれ
中央大学卒業。1999年ニューハード入団。
多くのリハーサルバンドでも活躍中。
三田治美(みた はるみ)tb
1968年スイングビーバーズ入団。1971年頃ゲイスターズ、ニューブリードへの参加を経て
1973年夏?〜74年暮までシャープスアンドフラッツで活躍。1977年キューバンボーイズに入団後、
1980年代にスタジオワークに入り、内外トップアーテイスト等多くのレコーデイングに参加する。
また近年は高校・大学、社会人等のアマチュアビッグバンドの育成にも情熱を注ぎ、優れた指導者として活躍中。
水野修孝(みずの しゅうこう)comp,arr 1934年2月24日徳島県生まれ
東京藝術大学卒業。1958年頃より作・編曲活動を行う(現代音楽)。1967年〜68年渡辺貞夫にジャズ理論を学んだ。
金井英人とキングスロアに作品を提供。1973年、ニューハードに日野皓正らゲストを加えた
ジャズオーケストラに作品提供、LP録音。その才能を広く世に知られる。
1975年にもニューハード+ゲストで録音を行った。
美空ひばり(みそら ひばり)歌手 1937年5月29日
1989年6月24日死去。本名加藤和枝。ご存知、戦後日本を代表する国民的大スター。
1946年9才で横浜アテネ劇場で初舞台。以降生涯に1035曲のレコーデイング、
158本の映画に出演し、主演舞台を89本務めた。ジャズも歌った。1960年代初めより#&♭の
バックで歌うようになり、1964年頃?より、シャープが、ひばりの専属バンドとなり69年頃まで
多くのステージで共演する。共演LPも数多くあり、中でも代表作は「ひばりとシャープ」
「ひばり 世界を歌う」「ナットキングコールを偲んで」「ひばり20周年リサイタル」等であろう。
1967年の大ヒット曲「真赤な太陽」は原信夫の作曲。
皆沢義一(みなさわ よしかず)tb 1937年11月20日東京生まれ
1956年井村鶴雄とブルーエイセスでプロ入り。以降ニューハード、東京パンチョス、
1962年ブルーコーツ入団し活躍。
三保敬太郎(みほ けいたろう)comp,arr 1934年10月27日東京生まれ
慶応義塾大学卒業。1985年5月16日死亡。高校時代より守安祥太郎に師事。16才でプロ入り。
トミーパーマーオーケストラ等で活躍後作・編曲に専念。1959年「モグラの唄」で
芸術祭奨励賞を受賞。59年4月、前田憲男、山屋清と「モダンジャズ3人の会」を作り、
日本ジャズ界の作・編曲分野に大きく貢献し、1961年芸術祭奨励賞を受賞。
1958年から65年まで人気投票・作編曲の部でポールウイナーに輝く。
三森一郎(みもり いちろう)ts,ss 1936年6月27日東京生まれ
山形市立第5中学校。幾つかのコンボを経て東京ユニオン、ウエストライナーズ、1971年猪俣猛とザ・サード
で活躍した。
宮哲之(みや てつゆき)ts,ss 1956年10月24日
アロージャズオーケストラで活躍中。
宮岡信夫(みやおか のぶお)tp 1945年高知県生まれ
関西のコンボ、自己のグループ、長谷川元伸とニューソニック等を経て
現在アロージャズオーケストラで活躍中。
三宅修二(みやけ しゅうじ)tp 1955年6月28日
77年ヤマノビッグバンドコンテストで最優秀ソロイスト賞受賞。
79年上京。鈴木勲等のコンボで活躍後、88年頃ニューハードで活躍。
宮間利之(みやま としゆき)leader 1921年10月31日
BIG BAND BIG MASTER!! GREAT!! 詳しくは本編参照。
宮本大路(みやもと だいろう) sax,ds
サックスを村岡建、ドラムスを森山威男、ジョージ大塚に師事する。
1976年〜78年バークレーで学ぶ。1984年〜86年岡本章生とゲイスターズで活躍。
1990年〜1991年日野皓正ブルーストラックバンドに抜擢され注目を集める。
その他マリーン、山下洋輔等多くのミュージシャン、ポップス系歌手と共演。
現在は熱帯JAZZ楽団(すべてのCDに参加)、内堀勝MUビッグバンド等のリハーサル
ビッグバンド、スタジオワークで活躍中。現在まで200枚近くのレコーデイングが有る模様。
また多くの楽器教則本の著作を通じ、後進の育成も行っている。
向井滋春(むかい しげはる)tb 1949年1月21日愛知県生まれ
同志社大学卒業。ご存知わが国トロンボーンの雄。渡辺貞夫ヤマハリハーサルオーケストラや
1974年SMCオーケストラに参加。
1976年5月、ニューハードのフォスター集にトラで参加(リード)
向出聡(むかいで さとし)tp 1955年5月24日
1976年K名和野&ニュースターズ、1977年竹内政之とニューズターズ等を経て、
1979年ブルーコーツ、1981年ニューハードで活躍。
武藤敏文(むとう としふみ)ds,leader 1927年10月7日東京生まれ
工学院大学卒業。1974年5月26日死去。隅田川で溺れかけた愛児を助けようとして事故死。
バイオリン、ギター奏者を経てドラマーに転じる。幾つかのコンボを経て、
スカイトーンオーケストラ、ニューハード、シャープスアンドフラッツ(1954年)、ニューハード
再びシャープスアンドフラッツ(1955年夏〜63年)で活躍後63年秋自己のビッグバンド、ニューシャープス
を結成し1970年頃まで活躍。
宗清洋(むねきよ ひろし)tb 1936年7月14日
県立誠之館高校卒業。1955年大阪の義則忠夫とキャスバオーケストラ入団。
59年11月北野タダオとアロージャズオーケストラ入団。
同バンドのコンサート・マスター、リードtb、ソロイストを務めた大番頭。
1967年7月には原信夫がその音色・プレイに惚れ込んで、シャープスアンドフラッツの特別メンバー
で米国ニューポートジャズFESに出演。当時シャープは宗清をどうしてもメインソロイストに欲しく、
(ソロイストの鈴木弘がニューハードとの掛け持ちで落ち着かなかったため)
強力にパリヒ、当時のアローのマネージャーが「宗清だけは勘弁してくれ、今辞められるとアローは
仕事が無くなる」と体を張って涙で移籍を阻止し、シャープはパリヒを断念した。
1972年には初来日のギルエバンスが日本で編成したオーケストラにメンバーに指名され全国公演・レコーディング
を行った。地味ながら日本を代表するトップトロンボーン奏者の1人。
2008年6月北野タダオが引退後はアロージャズorchのリーダーに就任、元気に活躍中。
関西に優れたtb奏者が多いのもこの人の功績大。
大阪音楽大学客員教授。
村岡建(むらおか たける)ts,ss 1941年1月12日東京生まれ
文化学院卒業。日野皓正クインテットでの活躍が著名だが、若い頃はゲイスターズ、
ブルーコーツ等のビッグバンドで腕をみがいた。67年シャープの「アンコール・ジャズ・アンド・ボサ」、
1971年オールスタービッグバンドのザ・ジャズ・オーケストラ、1974年12月秋吉敏子
オーケストラ等に参加。
村上準一郎(むらかみ じゅんいちろう)tb
東京藝術大学卒業。1981年〜97年シャープスアンドフラッツで活躍。その後角田健一ビッグバンド等の
リハーサルビッグバンドで活躍中。クラシック畑でも多方面で演奏活動を行っている。
村田文治(むらた ぶんじ)tp 1932年7月22日広島県生まれ
呉港高校卒業。東京パンチョスでプロ入り。以降多忠修とゲイスターズを経て
1960年ニューハード、1973年3月まで活躍。
本木英夫(もとき ひでお)tp 1932年9月25日
県立明石高校卒業。1955年〜58年シャープスアンドフラッツで活躍。その後スターダスターズ等を経て(1959年)
1965年ブルーコーツに入団しソロイストで活躍。
森重夫(もり しげお)bs
1988年頃ニューハードで活躍。
森剛康(もり たけやす)ts,leader
1952年〜58年シャープスアンドフラッツ、その後ゲイスターズのリーダーで活躍。
森寿男(もり としお)tp,leader 1932年10月3日東京生まれ
東京藝術大学卒業。東京生まれだが間もなく関西に移る。東京藝大入学後の1951年10月、小原重徳とブルーコーツに入団。
1953年3月に退団しその後幾つかのバンド、奥田宗宏とブルースカイ等
を経て1957年ブルーコーツに再入団する。1970年に小原重徳の後を継いで三代目ブルーコーツ
のリーダーに就任。現在に至る。ベイシー〜エリントン路線をひたすら追求し、
いい意味で伝統的なビッグバンドサウンドを継承し、優れた演奏で活躍中。
森守(もり まもる)ts 1944年9月28日三重県生まれ
伊勢工業高校卒業。スイングビーバーズで活躍後、73年1月ニューハードに入団。
黄金時代ニューハードのメインソロイストで大活躍。
74年モンタレイJF、75年ニューポートJF、77年南米ツアー等に参加。
同バンドでのレコーディングが多数ある。
78年頃まで在団。近年初リーダー作のCDを発売。アマチュアビッグバンドの
指導等でも活躍中。
森川周三(もりかわ しゅうぞう)tp 1930年8月25日東京生まれ
2006年3月10日死去。都立機械工業専門学校卒業。
モッサンの愛称で慕われた日本最高のリードトランペッターであった。
1950年宮間利之とジャイブエーセスに参加。1952年7月シャープスアンドフラッツのリード
で入団。強力なアタック、正確な読譜、美しい音色で原信夫からは全信頼を置かれる。
事実シャープには多くのメンバーが去来したが森川周三だけは絶対に手放さなかった。
森川周三無くしてシャープの超強力ブラスアンサンブルの創造はなかった。
シャープの膨大なレコーデイングのほぼすべて参加した。
森川信幸(もりかわ のぶゆき)bs,as 1933年3月23日東京生まれ
2012年5月17日死去。日本大学卒業。
日大ラッキーパピーオーケストラ、ニューハード、ゲイスターズを経て
1963年シャープスアンドフラッツ入団。シャープス解散まで活躍した。
森川周三の実弟。近年はウッドリバーオーケストラを結成し
ライブハウスで活動した。(リードアルトを担当)
守屋純子(もりや じゅんこ)p,comp,arr,leader 1965年3月31日東京生まれ
早稲田大学卒業。4才からピアノを始め、早大ハイソでピアニストとして活躍。(LP「6大学ビッグバンドコンサート'85」
に在団中の演奏が1曲収録されている。)OL生活を経験後プロデビューし都内の
ライブハウスを中心に活動開始。1991年米マンハッタン音楽院に留学。1993年2月帰国、
コンボで活動。1996年8月早大ハイソサエテイorchのゲストで「サントリーホール
10周年サマーコンサート」に出演。1999年8月ヤマノビッグバンドコンサートに自己
のビッグバンドで初登場。同年11月18日TUCで守屋純子オーケストラ旗揚げ公演を行う。
2001年5月ビッグバンド初CD「シフティング・イメージ」を録音。
新世代の作・編曲、リーダーとして最も期待されている1人。
守安祥太郎(もりやす しょうたろう)p 1924年1月5日東京生まれ
慶応義塾大学大学院卒業。
1955年9月28日死亡。日本のモダンジャズ創生期に楽器の種類を問わず、多くの
ミュージシャンに大きな影響を与えた、今や伝説の天才ピアニストであるが、短期間だが
ブルーコーツの三代目のピアニストだった。(1950年の9月頃??)ちなみに4代目は秋吉敏子。
1ヶ月ほど在団した。また1951年秋、デビューしたてのシャープスアンドフラッツのために
L・ハンプトン、D・ガレスピー、W・ハーマンらのバンドから採譜したアレンジを書いている。
この時の譜面は56年9月に当時シャープが出演していたラテンクオーターの火事のため
全て焼失。残念。ちなみにアレンジする時のペンネームは「矢野敏」(ピアノのもじり)だった。