門松 孝
1949年7月29日
高校入学後、1966年頃「原信夫とシャープスアンドフラッツ」マネージャー鯉沼利
成氏と「運命的な出会い」。鯉沼氏とは非常に親しくなり、シャープの事務所にも出入りす
るようになり、シャープスのバンドボーイで原事務所に入社する。(アルバイトだった)。
この間「‘68全日本ジャズフェスティバル」(原音楽事務所主催)の制作に携わって、そ
の後の音楽観、人生観に大きな影響を受ける。またこの時興行を行うことの面白さを知り、
1970年には自身でシャープスのコンサートを企画・制作し大成功を収める。原信夫氏
には全信頼を置かれ、大学在学中(4年生)の72年夏には(#&♭の第1回ソ連楽旅の時)
シャープスアンドフラッツのマネージャーに抜擢され、優れた手腕をふるう。その後も、
ビッグバンド初の武道館公演、ソ連楽旅、ワールドツアー等を大成功させ、同バンドの更
なる発展に貢献。20年の永きに渡ってシャープのマネージャーを務めた後、91年に原事務
所を退社、門松オフィスを主宰。CD制作・販売、「ヨコスカジャズドリームス」等優れた
多くのジャズ・フェス、コンサートのプロデュース、イベント、デイナーショー、講演会
等を行い、日本屈指のプロデューサーとして大活躍中。シャープのマネージャー時代に
培った多彩な人脈とその信頼には驚くべきものがある。人間的にも度量が広く、非常に魅力的。
(日本ビッグバンド紳士録より)
想い出のアルバム
誰?!
70年10月、大学生の時、初めてコンサートを企画・制作。
司会も自ら担当
すべてはここから始まった。
シャープス&フラッツマネージャー時代
名リードアルト故・前川元さんと
故アミーゴ川上(川上和彦 guiter)さんと
日本一のリードトランペット故・森川周三さんと
原信夫 カウント・ベイシー 門松孝
原信夫 門松孝 クインシー・ジョーンズ
バデイ・リッチ
(ジャズ・ワールド・内田晃一氏記)