Motohiko Hino
日野元彦 ひの もとひこ ds
1946年(昭和21年)1月3日東京都世田谷区生まれ
1999年5月13日肝不全のため死去
愛称・トコ。日劇で活躍した父親・日野敏に6〜7歳よりタップを習い8歳で舞台に立つ。10歳から原田
寛治にドラムを4年間師事し(足の訓練のため原田寛治が日野敏を訪ね弟子入り、その代わり元彦にドラムを
教える。マックス・ローチのレコードが出るたびに完全コピーした。)父と共に、タップ・ダンサー、ドラマ
ーとして米軍キャンプ回りを開始。尚美高校音楽学院在学中の63年1月、草ヶ谷隆夫クレッシェンド・シッ
クスでプロ・デビュー。(このバンドには兄皓正、鈴木孝二、西村昭夫等がいた。)その後大久保計利カルテ
ット、西条孝之介カルテット、渡辺弘とスター・ダスターズ、河辺公一セブン・スターズ、東京ユニオン、小
西徹カルテット、渡辺明R&B、66年9月沢田駿吾クインテットを経て68年2月菊地=日野クインテット
〜日野皓正クインテットに参加。兄皓正と最強のコンビを組み同バンドのリズムの要として大活躍。日野元彦
抜きの日野皓正クインテットは考えられないほどの重要な役割を演じ、時代を代表する名バンドとなった。
70年6月にタクトに「日野元彦フアースト・アルバム」を録音。71年にはSJ誌読者人気投票1位に初め
て選出され若手のトップ・ドラマーとして人気を集める。以降22回1位(ポール・ウイナー)に選ばれてい
る。76年2月名盤「流氷」をライブ録音。同年10月日野皓正とヨーロッパ・ツアー。77年4月から1年
間は六本木「ミステイー」のハウス・ドラマーで活躍。多くのミュージシャンと共演。同年5月、自己のトリ
オ「フラシュ」(佐藤允彦、井野信義)を結成しレコーデイング。78年4月から3年間渡米し、レストラン
「三田」に勤務しながら音楽活動の拠点をニューヨークとした。その間、ヒュー・マセケラ・カンパニー(
80年夏まで半年間)、80年夏ジョアン・ブラッキー・トリオに参加し、コンサート、ヨーロッパ・ツアー、
ジャズ・フエステイバル等で活躍。その他ジョー・ヘンダーソンカルテット、ソニー・ロリンズのグループ、
ゲイリー・バーツ・カルテットなど多くの世界的グループと演奏した。80年11月に帰国。自己のトリオを
結成後(井野信義、高瀬アキ)、81年秋、ZOOMを結成した。82年から85年まで辛島文雄トリオ等で
活動。その間83年には日野皓正スーパー・グループに参加。85年からは佐藤允彦トリオに参加。86年春
に本多俊之スーパー・グループ、7月には中国公演を北京の海定劇場で行った。その後60年代に流行った曲
をフアンキーに演奏する196Xを結成、87年には自己のスクオード、89年にはアバナイトロプス、91
年にセイリーング・ストーンを結成し、さまざまなスタイルでバイタルな活動を行う。92年11月からは若
手ジャズメンを結集し、日本のジャズ・シーンの現状を打開しようと新宿・ピットインで「クラブ・トコ」セ
ッシヨンを開始。このムーヴメントによって多くの才能ある若手が確実に成長し、日本のジャズシーンを活性
化していった。(クラブ・トコは計21回開催されている。)94年11月には「日野元彦音楽生活40周年
記念・クラブ・トコ」が開催される。そのスケールの大きさ、確実なテクニック、フレッシュな感覚、バイタ
リテイー溢れる活動と情熱、名実共に本邦NO.1のドラマーであった。