「あ」行
青木武(あおき たけし)tb 1936年12月23日横浜生まれ
横浜商業高校卒業。1961年より73年までニューハードで活躍。
青柳善二(あおやぎ ぜんじ)tb 1943年3月26日 東京生まれ
1955年ニューハード、その後東京ユニオン,1968年ブルーコーツ入団。20年以上活躍。
秋元公彰(あきもと こうしょう)b 1954年 青森県生まれ
北里大学獣医科卒業。同大卒業後上京。ジャズベースを荒川康男、クラシックコントラバスを
永島義男(藝大教授)に師事。猪俣猛サウンドリミテッド、菊池ひみ子バンド、東京ユニオン、
1992年より2001年までシャープスアンドフラッツで活躍。シャープ退団後は東京藝術大学コントラバス科に
入学して再度勉強。同大卒業後はブルースカイオーケストラで活躍中。
秋吉敏子(あきよし としこ)p,comp,arr,leader 1929年12月12日 旧満州遼陽生まれ
大連音楽学校卒業。バークレー音楽院卒業。
日本が世界に誇る、ピアニスト、コンポーザー、アレンジャー。ビッグバンドでは1950年夏頃?から
1951年1月まで長尾正士とブルーコーツ(黛敏郎の後釜)、その後多忠修とゲイスターズで活躍した。
1956年1月から59年までバークレーでピアノ、作・編曲を学んだ。
1964年10月にはチャーリー・マリアーノ〜トシコ・リサイタルにブルーコーツ
がゲスト出演し、彼女の作・編曲で演奏。この時に演奏された曲(ロング・イエロー・ロード、
イスラエル等)は高い評価を受け、その後1965年2月にも再びブルーコーツがゲスト出演して再演された。
1970年3月にはシャープスアンドフラッツに作編曲を提供。この時録音された「墨絵」は日本情緒を
ジャズに昇華させた傑作。1970年8月に来日して万博ジャズ祭でシャープの指揮をとった。
1973年、夫ルータバキンとビッグバンドを旗揚げし、1974年5月にLAで初コンサートを開く。
1974年12月来日時にはホーンセクションに渡辺貞夫リハーサルオーケストラを加えた邦人ビッグバンドで
コンサートを行った。以来今日まで多くのビッグバンド作品をレコーデイングし、すべてが高い評価
を受けている。また同ビッグバンドで演奏されるレパートリーはすべて彼女のオリジナル作品であるこ
とも特筆される。
熱田修二(あつた しゅうじ)tp 1951年12月2日 島根県生まれ
島根出雲高校。1971年ブルーコーツ、1973年ニューハード、1975年〜76年シャープスアンドフラッツ、
その後ノーチェ・クバーナ等で活躍。その後、故郷の出雲に戻り、実家の酒造店を経営する傍ら、
地元の音楽振興に力を注ぎながら、自らの音楽活動も続け、コンサートや自己名義のCDも発表している。
朝比奈五朗(あさひな ごろう)ldr 1918年5月8日 朝鮮生まれ
日本高等音楽学校卒業。1979年8月7日死去。湯浅永年に師事。
戦後まもなく1946年ダウンビーツオーケストラを結成し進駐軍キャンプで活躍。
その後クラブ、テレビ等で活躍。ジャズ・ダンス音楽で独自の地位を築きあげた。
1968年アメリカ・ヨーロッパを2ヶ月間音楽事情視察。
芦田ヤスシ(あしだ やすし)ts,ldr 1929年11月22日 東京生まれ
都立航空工業卒業。父は芦田満(アルト奏者)
幾つかのコンボを経て1959年芦田ヤスシビッグバンドを結成。赤坂ラテンクオーターに出演。
1981年コンボに再編。タクトレコードにLP有り(ムードテナー)
阿野次男(あの つぎお)ds 1951年2月19日
愛称マック。大庄西高校。1971年MBSジャズオーケストラ、1975年4月〜77年末までシャープスアンドフラッツ
でソ連、東南アジアへ楽旅。その後ミュージックメイカーズ、1978年ブルーコーツ、
ゲイスターズで活躍、同バンドで1982年コンコードジャズフエステイバル出演。1989年退団後はフリーで活躍。
我孫子浩(あびこ ひろし)tp,flh 1947年11月28日 愛媛県生まれ
西高校。中学生の頃には愛媛でコンボを結成し演奏。
1964年
ンナー・ギャラクシーorch入団。 1979・80年同バンドで78年モントルージャズ祭出演。ライブ盤でソロ有
り。その後フリーとなったが1987年ニューハード入団。
アミーゴ川上(あみーご かわかみ 川上和彦)g 1951年10月19日 東京生まれ
1998年11月27日没。立正高校卒業。スタジオミュージシャン等を経て1973年6月〜84年シャープス
アンドフラッツで活躍。その後フリーとなる。その卓越したギターワークとリズムセンスは日本人離れしており、
国内外の多くのミュージシャンから愛された。
綾戸智絵(あやど ちえ)vo,p 1957年9月10日 大阪生まれ
3歳でピアノを始める。デビューは1998年6月。ソウルフルでハートフルなヴォーカルとステージは
老若男女、すべての人に感動とエネルギーを与えている。ライブチケットは毎回すべて売り切れ。
すべてのジャンルを越えて今最も旬なミュージシャンの一人。2001年にはシャープスアンドフラッツと
東京、大阪でジョイントコンサートを行い大好評を博した。この時のライブがCDとDVDで発売。
荒井英治(あらい えいじ)tb 1941年12月23日
武蔵野音楽大学卒業。1960年より福本博とミュージック・ベンダー、
ラス・ゲリー・バンド、松田運とブルー・ソックス、武藤敏文とニューシャープス、
1965年山屋清と東京ユニオンで活躍。
その後1971年頃よりスタジオワークに入ったが、1985年、青山CAYのオープン時にスタジオのすご腕
ミュージシャンを集めた「オールスターチーム」ビッグバンドを率いて出演。
その後、六本木ピットインに月1回出演し、人気を集めた。
荒井剛男(あらい たけお)tb
1978年〜80年ニューハード
荒川達彦(あらかわ たつひこ)ts,comp,arr 1944年9月12日
1964年ブルーコーツ,1967年アロージャズorch。1970年よりコンボを結成。1974年〜75年渡米し,作・編曲を勉強。
東京ユニオンのモントルーのライブ盤に収録されている「源氏」は荒川達彦の作品。モントルーのステージ
で最もヒットした。
荒川康男(あらかわ やすお)b,comp,arr 1939年6月12日
ジョージ川口5、沢田駿吾5、トシコ・マリアーノ4等で活躍後に渡米、バークレー音楽院卒業。
ハーブ・ポメロイに作・編曲を師事。1968年8月に帰国。シャープスアンドフラッツ等に
優れた作品を提供。フリーで活躍中。トップアレンジャーの一人。
荒谷憲一(あらや けんいち)g
故人 1976年〜78年頃東京ユニオンで活躍。ロック系のギターサウンドでユニオンの魅力
を引き立てた。その風貌は、当時のビッグバンドのメンバーとは一線を画していた。
(プレイもロックだが、ルックスもロック!)
アラン・ベイツ ds(Alan Baites) 1953年生まれ
1986年4月〜87年3月までシャープスアンドフラッツで活躍。同バンドの2代目外国人ドラマー。
有馬徹(ありま とおる)ldr,ds,g 1927年1月2日 鹿児島県生まれ
早稲田大学卒業。広岡淑生、坂本良隆に師事。オルケスタティピカ東京に参加後、
1954年春、8人編成でノーチェ・クバーナを結成。1957年に編成を拡大し、
キューバンボーイズと並びラテンのトップバンドに育てた。
スイングから日本民謡まで広いレパートリーをもった、ショーバンドとしても成功。
ノーチェクバーナは現在でも活動中。リーダー有馬徹のニックネームが鉄仮面だった事はあまりにも有名。
有馬裕人(ありま ひろと)照明家 1934年8月8日 台湾・台北市生まれ
1961年頃よりシャープスアンドフラッツの主なコンサート照明はすべてこの人。
1967年のニューポートジャズFES等の海外公演も同バンドに同行。
日本を代表する照明家の一人。
飯沼五洋(いいぬま いずみ)p
東北大学卒業。1987年〜89年シャープスアンドフラッツで活躍
居上博(いがみ ひろし)tp ldr 1932年6月2日 東京生まれ
高校2年の時映画を見て音楽に興味を持つ。同時に高校2年の時キャバレーのバンドにバンドボーイ
見習いとなり卒業と同時にtpでプロデビューした。多くのバンドで演奏し、1962年上京、ロブスター
に入り1年後帰阪。1965年3月にファインメイツを結成。以来多くの歌手のバックを務める。
来日歌手の伴奏も多く参加している。
五十嵐明要(いがらし あきとし)as 1935年12月6日 大阪市生まれ
早稲田大学中退。1951年渋谷の米軍キャバレーで松下彰孝Gで演奏。その天才的ソロを、演奏している店の
外で聴いた渡辺貞夫が発奮した。(らしい)
沢田駿吾ダブルビーツ、ウエストライナーズ等で活躍後1960年〜67年シャープスアンドフラッツ、
1967年〜69年ブルーコーツ、1978年ジョイフルオーケストラに参加。
現在、再び、ブルーコーツで演奏している。
実家は寄席の「聞楽亭」実兄は五十嵐武要ds
井口秀夫(いぐち ひでお)tb 1952年2月2日 東京生まれ
2017年4月15日 急性心不全で死去 (65歳)
横須賀学院高等学校卒業。ミッキー吉野とは中学校で同級生。高校卒業後ビッグバンドで演奏。その後南里雄一郎とホットペッパーズで
活躍後(6年)。1976年〜77年シャープスアンドフラッツ、その後フリーになり79年三木敏悟インナーギャラクシーorchで
モントルージャズfes出演。80年ゴダイゴ・ホーンズに参加。またこの頃上田力パワーステーションのレコーディングにも参加。
88年〜89年には高橋達也と東京ユニオンのリードトロンボーンで活躍。また「需芸六」という3管のハードバップバンドを結成した。
幾見雅博(いくみ まさひろ)g 1949年2月8日 静岡県生まれ
駒沢大学卒業。中学時代はチェロを演奏。直居隆雄の後任ギタリストとしてシャープスアンドフラッツに
1971年〜73年まで在団。76年頃は東京ユニオンにも参加している。
池内 道(いけうち まこと)ts 1948年5月18日
佐藤茂とブルーノーツORCH(仙台)等のオーケストラに所属後
1973年、高橋達也と東京ユニオンに入団し活躍。
池田篤(いけだ あつし)as 1963年2月19日生まれ
土岐英史に師事。椎名豊、五十嵐一生、本田竹広、福村博等のコンボで活躍。
1990年渡米、1995年に帰国後は自己のコンボ(カルテット)で活躍。初リーダー作も発売した。
その他、内堀勝MU ビッグバンド、角田健一ビッグバンド、東京リーダーズビッグバンド、
三木俊雄フロントページオーケストラ等に参加、作曲、編曲も提供し活躍中。
石兼武美(いしかね たけみ)bs 1953年10月31日 福岡県生まれ
福岡電波高校卒業。中西義善宣とビッグサウンズ、森剛康とゲイスターズ、ビトー&コンソレーションを
経て1975年〜78年東京ユニオンで活躍
石川晶(いしかわ あきら)ds 1934年11月10日 東京生まれ
2002年2月18日 ケニヤ・ナイロビで死去。横須賀市三浦学園卒業。
田中雅一、松本伸に師事。横須賀市のクラブでプロ入り。
松本伸とニューパシフィック、疋田ブラザース、宮沢昭モダンオールスターズ、
保坂俊雄とエマニアーズ等で活躍後1953年に米軍ジョンソン基地NCOクラブに
出演していたニューハードに入団。同バンドのトップランク入りに大きく貢献し
モダンビッグバンドの確立に大きく貢献。1966年11月に退団後は
ミッドナイトサンズ、ゲンチャーズ、カウント・バファローズなどのジャズ・ロックの
コンボを結成し活躍。多くのレコーディングを残す。当時のLPは今も非常に人気がある。
石松元(いしまつ はじめ)ds 1940年9月7日
2008年3月12日死去。1963年スイングビーバーズ、1965年より東京ユニオンで活躍。
石松晴臣(いしまつ はるおみ)bs 1950年1月30日
東京キューバンボーイズ、浜水俊朗とミカドオーケストラ、1977年10月〜84年頃までニューハードで活躍
伊勢秀一郎(いせ しゅういちろう)tp 1955年10月18日 宮城県生まれ
東京ユニオンを経て1992年ニューハード入団。その他リハーサルビッグバンドでも活躍中。
いソノてるヲ(磯野晃雄)ジャズ評論家 1930年7月28日 東京生まれ
慶應義塾大学卒業。1999年4月21日死去。米国大使館員、スイングジャーナル編集部員を経てジャズ評論家。
早い時期よりブルーコーツ、シャープス、ニューハードなどのビッグバンドの活動も
バックアップ。ジャズコンサートの司会、LPの解説も数多い。
市川栄一(いちかわ えいいち)tp
1952年の一時期シャープスアンドフラッツで活躍
市橋健司(いちはし けんじ 世志凡太)b 1934年1月4日 東京生まれ
若い頃は名ベーシストで1954年〜55年シャープスアンドフラッツで活躍
その後コンボで活動後、コメディアン、作詞家として活躍。
フィンガー5を世に出したことでも知られている。
市原宏祐(いちはら こうすけ)ts,fl 1936年8月21日 東京生まれ
日大二高卒業。1952年ブルースターズ(富樫雅彦の父がリーダーだった)
松本伸ニューパシフイック、海老原啓一郎ロブスターズ、1956年にニューハード入団。
メインソロイストとしてモダンなソロで同バンドの発展に貢献。
1970年10月初リーダー作「デパーチャー」(CBSソニー)を録音。
1971年に退団後はスタジオワークで活躍。
伊藤昭志(いとう あきし?)tb
1974年〜76年ニューハード
伊藤修二(いとう しゅうじ)b 1951年11月29日 京都府生まれ
1971年ベースを始める。1975年頃シャープスアンドフラッツで活躍
伊藤真介(いとう しんすけ)tb 1955年1月12日 静岡県生まれ
東京藝術大学卒業後ニューパシフイックバンド、ダウンビーツ。77年ブルーコーツ入団。
伊藤昌明(いとう まさあき)b 1946年 札幌市生まれ
1967年春〜1969年夏まで、GSの井上宗孝とシャープファイブに参加していた。1973年1月〜74年12月までニューハードで活躍。
ニューハードでモンタレージャズフェスティバルに出演。
その後宮川泰の「名匠・宮川組」等を経て、現在はスタジオワークを中心に活躍中。
稲垣貴庸(いながき よしのぶ)ds 1960年 東京生まれ
スタジオワーク、劇団四季の伴奏オーケストラを経て1984年〜89年東京ユニオン、
1993年頃よりシャープスアンドフラッツで活躍する他、最近頻繁に結成されているリハーサルビッグバンド
でも引っ張りだこ。自己のビッグバンド(敬愛するB・リッチのナンバーを演奏するビッグバンドである)
でもライブハウス出演。
稲葉博昭(いなば ひろあき)tb
1983年頃シャープスアンドフラッツで活躍
猪俣猛(いのまた たけし)ds 1936年2月26日
中外商業高校卒業。ドラムスは父親から教えてもらった。渡辺明エムバース5、
上田剛とニューサウンズ、渡辺晋とシックスジョーズ等で活躍後西条孝之介とウエストライナーズに
参加。のち西条に代わってリーダーとなった。その後1970年サウンドリミテッド、
1971年、大野俊三ら実力メンバーを集めて本格的ジャズ・ロック・ビッグバンド、ザ・サードを結成。
全編前田憲男のアレンジメントを使用し、高い人気を得た。昨年(2002年)ザ・サードが再編されて
コンサートが開催された。
猪目慎一(いのめ しんいち)as 1950年 兵庫県生まれ
1978年ビッグサウンズ、1982年ブルーコーツ、90年よりシャープスアンドフラッツでリードを担当。
井上誠二(いのうえ せいじ)ts 1944年11月5日 北海道生まれ
国士舘高校卒業。保坂俊雄、嵯峨正夫に師事。
1970年保坂俊雄とエマニアーズ、1973年〜76年4月ニューハード、1977年〜78年東京ユニオンで活躍。
井上祐一(いのうえ ゆういち)p 1963年10月30日
北大ジャズ研でジャズピアノを始める。卒業と同時に地元でプロ入り。
1992年3月上京。猪俣猛、中村誠一、大友義雄等と共演。
95年には自己の初リーダー作を発表。大坂〜原5、w・マルサリス、ニコラス・ペイトン
等らとも多く共演する。自己のコンボのほか、角田健一ビッグバンド、稲垣貴庸ビッグバンド等の
リハーサルビッグバンドでも活躍中。
今井良平(いまい りょうへい)tb
1979年〜80年ニューハードで活躍。
今泉正明(いまいずみ まさあき)p
学生時代にプロ入り。1986年に渡米、バークリー音楽大学に留学。
1989年帰国。松本英彦、日野晧正、日野元彦、渡辺貞夫らと共演する。
自己のトリオで活躍の他東京リーダーズビッグバンドで活躍中。
今尾敏道(いまお としみち)ts 1961年10月10日生まれ
明治大学卒業。同大ビッグサウンズオーケストラ出身。
ブルーコーツを経て1991年よりニューハードで活躍。
今城嘉信(いましろ よしのぶ)p 1934年5月18日広島市生まれ
広島音楽高校卒業(専攻はセロ)1958年より72年までニューハードで活躍。
1979年頃?ザ・コンソレーションのリーダーになる。
岩崎敏信(いわさき としのぶ)tb 1949年8月11日
独協大学卒業。1970年自己のグループ結成。1972年芦田ヤスシ&メローノーツ、
1974年〜76年SMCオーケストラ、ヤマハリハーサルorch、
1979年インナーギャラクシーorch、を経て1980年〜81年ニューハードに在団。
岩瀬立飛(いわせ たっぴ)ds
14才からドラムを始める。高校時代は吹奏楽部の編曲も始めた。同時にライブハウスに
出演。高校卒業後に上京し日野元彦、ニューハードの坂田稔に師事。1988年渡米し
ロスのグローブ音楽院作/編曲科入学。91年帰国しゲームメーカーのコナミ専属となり
曲を提供。近年は自己のコンボのほか、東京リーダーズビッグバンド等のリハーサルビッグバンドで活躍中。
岩瀬富美夫(いわせ ふみお)tb 1952年12月30日
1975年浜水俊朗とミカドオーケストラ、1976年ゲイスターズ、1978年東京ユニオン、
1980年〜82年頃までニューハードで活躍。
岩波洋三(いわなみ ようぞう)ジャズ評論家 1933年5月30日
労音職員、競輪場職員、
ビッグバンドのLP・CDのライナーノート多し。趣味は天気予報(小学校2年生のときから。よく当たる、らしい)
岩見淳三(いわみ じゅんぞう)g 1954年 和歌山県生まれ
法政大学卒業。ジョージ川口スーパーバンドで2年演奏の後93年シャープスアンドフラッツ入団。
その卓越したギターワークは、ビッグバンドだけでなく、コンボや歌伴でも定評があり、
アミーゴ亡き後、ギター界では注目を集めている。
上里稔(うえさと みのる)ts 1953年3月4日
ブルーコーツを経て1978年ゲイスターズで活躍。
上高政道(うえたか まさみち)tb 1942年3月24日岡山県生まれ
私立京華中学校卒業。1959年〜77年までニューハードで活躍。
上田力(うえだ ちから)p,comp,arr 1930年11月5日東京生まれ
早くから黒人のファンキーなサウンドを研究し、わが国の先駆者的存在。78年東京ユニオン
に「ソウルポーター」「フアンピコ」1980年にニューハードに「ビッグスタッフ」
「ハードランド」の作・編曲を提供。一時期、日本のクインシー・ジョーンズと称された。
植田ひとみ(うえだ ひとみ)vo 1952年11月15日
市邨学園卒業。1973年6月上京、ニューハードの専属歌手として1年間活躍した。
内田日富(うえだ ひとみ)tb 1953年2月23日
1976年ゲイスターズ、1981年インナー・ギャラクシーorch「出航前夜」に参加
上野雅憲(うえの まさのり)tp 1943年4月4日
スターダスターズ、東京ユニオン、シャープスアンドフラッツを経て1980年4月ブルーコーツで活躍。
植松孝夫(うえまつ たかお)ts 1947年4月16日東京生まれ
中学2年の時ブラスバンドでトランペットを吹く。1年後クラリネットに転向、調布市吹奏楽団に
入る。中三の終わり頃サックスに転向。(最初アルト、後テナーに)その頃スタンゲッツを聴いて感激する。
高校3年の頃シャープスアンドフラッツの事務所に入るが(シャープのボーヤになれると思った)
武藤敏文とニューシャープのボーヤに配属される。1日中楽器運びに嫌気がさし、1ヶ月でやめる。
その後新宿のキャバレーバンドに入る。
二松学舎高校卒業後、渡辺弘とスターダスターズでプロ入り。水原弘ブルーソックス、ナイトクラブの
コンボで活動。1969年本田竹彦のコンボに入り、六本木「ニドー」出演。1970年本格的に
ジャズに取り組み今井尚tb、菊地雅洋pと新宿ピットインに出演。その後猪俣猛サウンドリミテッドで4ヶ月活動、
以後は杉本喜代志、ジョージ大塚等のコンボで活躍。
70年前後の代表的モダンテナーマン。
臼井和雄(うすい かずお)tb
1963年〜64年シャープスアンドフラッツで活躍。
内田賢英(うちだ けんえい)tb
1973年〜74年ニューハードで活躍。」
内堀勝(うちぼり まさる)tb,comp,arr 1943年10月5日 東京生まれ
高校からtbを始め、中央大学時代に渡辺貞夫に編曲の理論を師事、渡辺貞夫リハーサルオーケストラに参加。
大学卒業後横浜のダンスバンドでプロ入り。その後東京ユニオン、スカイライナーズ等で活動。(tbと編曲を担当)
1974年から2年間バークリーに留学、帰国後作・編曲に専念した。
シャープスアンドフラッツ、ニューハード、ゲイスターズ、東京ユニオンなど多くのバンドに
作品を提供している。現代日本を代表する作・編曲家の1人。満を持して1995年6月、自己の
MUビッグバンドを結成し好評を博している。
期待されつつ若くして逝った内堀誠(comp,arr,ts)の実弟。
内山正博(うちやま まさひろ)ts
1996年頃ニューハードで活躍
内山有希夫(うちやま ゆきお)ldr,comp,arr
1982年3月、自己のオリジナル曲を演奏する為のバンド、ミュージック・マジック・オーケストラを結成。
意欲的なオリジナル曲を演奏。CDも2作品発表している。2001年11月には活動20周年を機に、
7人の弦セクションを加えた“ストリングス”ビッグバンドで精力的に活動中。
海付豊(うみつき ゆたか)as 1962年3月31日 東京都生まれ
大友義雄に師事。 1995年からニューハードで活躍
梅木亨(うめき とおる)tb 1965年2月17日
日本大学芸術学部卒業。1992年よりニューハードで活躍
梅田英伸(うめだ ひでのぶ)ds
1991年シャープスアンドフラッツで活躍。
近年は篠崎秀樹とスイートファンタジアオーケストラで活躍中。
エディ岩田(えでぃ いわた)ds
1954年〜55年シャープスアンドフラッツで活躍
海老原啓一郎(えびはら けいいちろう)as 1926年12月12日 東京生まれ
都立三商卒業。1946年プロ入り。1948年ブルーコーツ、1949年CBナイン、1952年ミッドナイトサンズ、
1954年シックスレモンオールスターズ、1955年エルキュアイツ、その後自己のコンボで活動後、1959年12月ロブスターズを結成。
1969年に解散。その後作・編曲およびプロデュースに転向。
1968年頃のロブスターズに笠井紀美子が専属歌手で在団した。
海老沢一博(えびさわ かずひろ)ds 1944年10月25日 東京生まれ
平沼高校卒業。1960年福本博とミュージックベーダーズ、白磯タケルとゲイスターズ、
スカイライナーズ、1964年ブルーコーツ、その後一時独立してコンボを結成したが
再びスカイライナーズ、東京ユニオン、1966年スターダスターズ、沖至3、
1967年(1週間)と1970年春シャープスアンドフラッツ,1972年東京ユニオン。
1991年のシャープ40周年リサイタルでも叩いた。
江利チエミ(えり ちえみ)vo 1937年 東京生まれ
1982年2月13日死去。父がミュージシャンで幼い頃から米軍キャンプを回る。1951年テネシーワルツが大ヒット。その
頃渡米し、本格的にジャズを勉強。1955年頃からシャープスアンドフラッツと全国巡業公演を行い、大人気を
得る。同バンドとの共演LPも多い。キューバンボーイズとも多く共演した。
1963年6月には初来日したカウントベイシーオーケストラをバックに歌う。
この時の録音もキングより1984年LP化されている。
エリック宮城(えりっく みやしろ)tp 1962年 ホノルル生まれ
1984年〜87年バデイリッチビッグバンド、1987・88年ウデイハーマンビッグバンドでリードを担当。
1989年来日。以後多くのビッグバンドで活躍中。有数のハイノート・ヒッター。
シャープス&フラッツ40周年記念アルバム(3枚組)ではそのパワーをありありと確認できる。
自己のEMビッグバンドでCDも有る。
及川芳雄(おいかわ よしお)b-tb 1949年5月11日 東京生まれ
東京藝術大学卒業。中西義宣とビッグサウンズ等を経て1975年夏〜79年春頃までシャープスアンド
フラッツ、1979年にインナーギャラクシorchの創設に参加。1991年のシャープ40周年リサイタルに
谷啓らとゲスト出演。
笈田敏夫(おいだ としお)vo 1925年2月21日 ベルリン生まれ
慶應義塾大学卒業。2003年9月2日腎盂ガンのため死去。78歳。ピアニストの父・笈田光吉氏が留学
していたベルリンで生まれ、帰国後1931年慶応幼稚舎に入学、慶応大学在学中の1945年
12月に幼稚舎以来の学友である大橋節夫氏と「スターダスターズ」を結成しデビ
ュー。(この時笈田氏がヴォーカルとウクレレ、大橋氏がスチールギターを担当)。
その後コニー・アイランダーズ等のバンドに参加。1950年にブルーコーツに専属歌
手として迎えられ、活躍。1953年から8年連続で紅白歌合戦にも出場。歌以外にも
映画(嵐を呼ぶ男に出演)、ミュージカル、司会などにも大活躍した。また50年代から
始めた「ゲソの気まぐれコンサート」も毎年のように開催。最も影響を受けたフランク・
シナトラのように、熟成した人生経験豊富な味わいあるヴォーカルは他の追従を許さないもの
であった。シャープスアンドフラッツなどビッグバンドとの共演も多かった。
1986年に「南里文雄賞」、1987年「芸術祭賞」、1995年「勲四等瑞宝章」を受賞。
最後のステージは入院直前の7月20日の兵庫県の
大垣公光(おおがき きみみつ)tp
1970年代に白井克二とニューソニックで活躍。1980年東京ユニオンの「アップ・イン・ザ・ブルース」
にアレンジメントを提供している。
大塚朱美(おおつか あけみ)マネージャー
ニューハードのマネージャーで2004年12月まで活躍。
大塚善章(おおつか よしあき 又はぜんしょう)p,comp,arr 1934年2月15日
関西大学卒業。関西で活躍中のベテランピアニスト。アロージャズオーケストラに編曲を提供。
大西修(おおにし おさむ)p,arr 1927年1月3日
1959年〜63年シャープスアンドフラッツで活躍。また1960年代には同バンドに多くの編曲を提供しLPも多く
残っている。
大野憲一郎(おおの けんいちろう)bs 1937年1月22日 秋田県生まれ
芦田ヤスシビッグバンド等を経て1982年よりニューハードで活躍中
大野俊三(おおの しゅんぞう)tp,flh 1949年3月22日
岐阜商業高校卒業。名古屋で1年演奏。1968年上京しロブスターズに入団。
その後猪俣猛サウンドリミテッド、稲垣次郎ソウルメディア、1971年1月ジョージ大塚5、猪俣猛とザ・サードで
活動。同バンドでLPもある。その後渡米。
大野肇(おおの はじめ 大野三平)p 1936年3月10日 東京生まれ
1998年11月27日死去。麻布高校中退。16才でプロ入り。1953年米元広、同志社大学クールキャッツ、
等を経てジョージ川口ビッグ4、ウエストライナーズ、自己のトリオ、大野嵩とナイトシックス、
1971年〜72年暮れまでシャープスアンドフラッツ在団。
伝説のバップピアニスト。そのプレイは多くのミュージシャンに影響を与えた。
故守安祥太郎を師とした。奇しくもアミーゴ川上と同日に没している。
大前成之(おおまえ しげゆき)as,lder 1931年12月12日
大阪大医学部在学中にアルバイトでサックスを吹く。1954年プロとなり大学中退、義則忠夫と
キャスバオーケストラにリードアルトで1970年頃まで在団。1973年大前成之とニューコンサー
トを結成。
大森順次(おおもり じゅんじ)tb
1980年シャープスアンドフラッツで活躍
大山日出男(おおやま ひでお)as 1956年9月28日 福岡県生まれ
1980年東京芸大卒業後81年にニューブリード入団。1982年渡米、1984年ゲイスターズ、87年
〜90年シャープスアンドフラッツのリードアルトに迎えられる。実力派のアルト奏者。
近年は角田健一ビッグバンド、奥田宗宏Jrとブルースカイで活躍中。またコンボでも積極的
に活動しており、自己名義のCDを残している。2003年シャープスアンドフラッツに復帰、活躍中
そのサウンドとプレイは、現在のリードアルト奏者としては最高。
岡宏(おか ひろし)as,leader
日大リズムソサエテイ時代に文化放送・バンド合戦で優勝。(マカレナのアルトソロ)
プロ入りして、1963年にコンボを結成。1974年にビッグバンドに拡大しクリアトーンズ
とした。以降毎年定期コンサートを開催。1986年中国、韓国、1987年アメリカ、
1990年にソ連公演を敢行。韓国政府からも文化功労賞を受ける。NHK・教育TVの
韓国語講座の音楽も担当した。96年・97年にCD2枚を発表。
岡崎好朗(おかざき よしろう)tp 1971年4月27日 東京生まれ
12才でtpを始め、17才からジャズを演奏。バップの名手村田浩に師事。1991年
から94年までバークレーで学んだ。帰国後は多くのコンボ、東京リーダーズビッグバンド
等のリハーサルオーケストラで活動中。自己のコンボでも活躍。
岡崎愛詩(おかざき あいじ 岡崎広志)as,vo,comp,arr 1935年10月28日 広島生まれ
1954年中沢寿士とMBSジャズオーケストラでプロ入り。1959年〜61年シャープスアンドフラッツ、
1961年〜64年ブルーコーツ。64年コーラスグループのスターゲイザーズ結成。1981年にはクインシージョーン
ズ来日公演でシャープの一員としてリードアルトを担当した。1982年に岡崎広志から改名。
岡田光一(おかだ こういち)tb 1948年1月2日 栃木県生まれ
武蔵野音楽大学卒業。ビッグサウンズ、東京ラティーノスを経て1972年〜77年東京ユニオンで活躍
岡田澄雄(おかだ すみお)tb 1947年5月27日
高校卒業後上京、松田運とブルーソックス、ニューブリード,その後スタジオワークに入り
1997年2月よりニューハードで活躍中。この間1974年12月,秋吉敏子が日本で編成したビッグバンドに
参加。1988年東京ミュージックラボのLP「ブレス・フローム・ザ・シーズン」参加。
岡野等(おかの ひとし)tp 1948年11月9日 東京生まれ
羽田工業高校卒業。tpは独学で習得した努力家。1967年プロ入り。植松孝夫G、
その他ビッグバンドで活動後1972年〜77年夏頃までシャープスアンドフラッツで活躍。
バイタルでモダンなフレーズで人気を得た。自己名義のコンボでもLP有り。(ダブルイメージ)
現在は、G川口ニュービッグ4+1で活躍中。
岡村正義(おかむら まさよし)ts 1938年12月19日 新潟県加茂市生まれ
加茂高校卒業。1963年河辺公一とジャイアンツ、スイングビーバーズ、東京ユニオン、
ミカド・ルナスターズ、スイングビーバーズ、1965年ブルーコーツ。
岡本章生(おかもと あきお)ldr,tp 1942年11月8日 京都生まれ
1961年上京、長谷川武とジョリージョーカーズ、木谷二郎とブルーソックス、
スマイリー小原とスカイライナーズを経て1967年ゲイスターズ入団。
1972年森剛康を引き継いで7代目リーダーに就任。TV・ラジオを中心に活躍。
特に「8時だよ 全員集合!」のバックをレギュラーで14年続け全国の多くの人にゲイスターズ
の名を知られることとになった。
1976年頃より意欲的にジャズ演奏活動を開始。LP録音、自主コンサート開催。ピットイン等の
ジャズクラブにも出演した。
1982年8月には14thコンコードジャズフェステイバルに出演し好評を博した。
自己名義のアルバムでは「ブルージーンと皮ジャンパー」(1970年)がある。
ゲイスターズでの代表作は「八季」(ナットピアースcomp,arr 東芝1981年)
「GS」(貫田重夫作編曲集 東芝1982年)
「思い出のサンフランシスコ」(1982年 SMSレコード)
ゲイスターズは雅楽の名家・多家に生まれた多忠修(おおの ただおさ)が、在団していたスターダスターズ
の主要メンバーを引き抜いて1949年7月に結成した名門ビッグバンドである。結成当初はバンカーズ・クラブ
(第五空軍クラブ)に出演した。ウディハーマン風のクールサウンドで人気を博した。
1951年と52年のSJ誌人気投票ビッグバンド部門で1位をとっている。
1950年のメンバーには与田輝雄ts 小畑益男tp 竹村繁tp 滝沢裕次tb 野々村直造tb
秋吉敏子p フランキー堺ds等がいた。
1960年に多忠修はリーダーを退き東京宝塚劇場の指揮者となった。
その後ゲイスターズのリーダーは
野々村直造tb エディ岩田ds 浜水俊朗tb 白磯タケルtp 森剛康ts そして岡本章生tp
と変わった。
小川俊彦(おがわ としひこ)p,comp,arr 1932年10月29日 東京生まれ
慶應義塾大学卒業。1958年トミーパーマーorch、1960年北村英治5、1964年自己のトリオ。
1966年〜70年夏頃までシャープスアンドフラッツで活躍。
シャープ在団中は優れた編曲も提供。1970年退団。シャープ専属アレンジャーとなる。
1975年には自己のリハーサルorchを結成。
奥野糸司(おくの いとし)tp
1960年頃〜67年頃までニューハードで活躍
奥田章三(おくだ しょうぞう)tp 1948年2月2日
18歳でプロ入り、アロージャズorc、スターダスターズで活躍。1971年頃よりスタジオ
ミュージシャンで活動。
奥田宗宏(おくだ むねひろ)ldr,ds 1911年11月12日
1992年1月19日死去。28年ニュー・ヨコハマ・リード・バンド結成。指揮者でデビュー。
1935年、自己のスイングバンド結成、東横ダンスホール専属となる。戦中も大陸でバンドを
結成して各地を慰問。戦後47年米軍立川基地でブルースカイオーケストラを結成。その後ダンスホール
に進出、ラジオやTVにも出演。高い評価を得る。ダンスバンドとして超一流のバンドで、踊りやすく、
ダンスに最適の演奏を常に心がける。各レコード会社に膨大な量の録音を残している。
1987年にはバンド結成50周年記念パーテイが盛大に行われた。奥田宗宏死去後は子息の英人氏が
ブルースカイオーケストラを引き継ぎ、演奏活動を行っている。
奥田宗宏Jr(おくだ むねひろジュニア)ldr,tp
奥田宗宏の子息(次男・本名奥田英人)。奥田宗宏死去後(1992年)、ブルースカイオーケストラを引き継ぎ、
多忙な日々を送る。
奥村晶(おくむら しょう)tp 1967年8月15日
1991年、東京藝術大学在学中にニューハード入団、活躍中。
小黒和命(おぐろ かずみ)as 1947年6月8日 東京都生まれ
城西高校卒業。中学から演奏を始める。多くのコンボで活躍後
1978年〜79年ニューハードで活躍。怪我のため1年休養後田畑貞一グループ、
自己のクインテットを結成。その後フリーで活躍。
長田雄二(おさだ ゆうじ)tp 1960年7月8日
豊岡豊とスイングフェイス、ゲイスターズ、1987年〜97年頃までニューハード在団。
尾崎幸次(おざき こうじ)tb
1975年の一時期シャープスアンドフラッツで活躍
納浩一(おさむ こういち)b 1960年10月24日、大阪生まれ
京都大学時代に鈴木淳にベースを師事。大学卒業後、バークリー音楽大学に入学。
1987年に同大学作曲編曲科を卒業。帰国しライブハウスを中心に活動開始。小曽根真、松本英彦らと共演。
また渡辺貞夫グループのレギュラーも務めた。現在はコンボ活動の他、香取良彦オーケストラ、
東京リーダーズビッグバンド等のリハーサルビッグバンド、ポップス系ミュージシャンのレコーデイング等で活躍中。
小沢栄二(おざわ えいじ)Maneger 1947年3月19日、
1965年4月〜1972年6月までトランペット奏者として新宿・渋谷・池袋等の
ダンスホールやキャバレー(三沢あけみ・橋幸夫・千昌夫他の歌伴バンド)で活躍。
1972年8月〜1978年7月までは宮間利之とニューハードのマネージャーを務める。
この間1974年モンタレー、75年ニューポート、78年南米ツアー(ベネズエラ・ボリビア・
チリ・コロンビア)に同行しニューハード全盛時代の活動を支え、大成功させる。
1978年にニューハード事務所を退社後、(有)グルービーオフィスを設立し代表取締役を務める。
千昌夫・新沼謙二・五月みどり・しばたはつみ・弘田三枝子・真梨邑ケイ・加山雄三
大地真央等のバンドブッキングを主な業務とした。1996年2月まで活動を行う。
2005年1月より古巣のニューハード事務所に復帰。ニューハードの現マネージャーを務める。
越智治夫(おち はるお)tb
1959年〜68年までシャープスアンドフラッツで活躍
小野広一(おの こういち)tp
日本大学卒業。ヤマハリハーサルオーケストラ、SMCオーケストラ、1978年〜81年ニューハード在団
小野満(おの みつる)ldr,b 1929年1月1日 千葉県生まれ
2008年1月2日死去。千葉工業大学卒業。1947年三木トリローバンド、長尾正志ビーバップエイセス、
後藤博とデキシーランダース、レイモンド・コンデとゲイセプテット、池田操リズムキングス
等幾つかのコンボに参加後ジョージ川口BIG4に参加。
一躍大人気を得、一世を風靡した。美空ひばりにジャズを教えたのは小野満の功績である。
その後自己のフォーブラザース、シックスブラザース(北村英治 チャーリー脇野、増田一郎等が参加)、
1959年10月にスイングビーバーズを結成し上野のダンスホール「新世紀」の専属バンドでスタートした。
TV、コンサートで大活躍したが1984年頃に解散した。
1977年に故郷の千葉県市原市で行なわれた30周年記念リサイタルがLP化されている。
小野寺忠和(おのでら ただかず)tb 1949年5月28日 三重県生まれ
大阪府立箕面高校卒業。長い間大阪でフリーで活動後、リッキーと960ポンド等を経て
1974年6月〜77年シャープスアンドフラッツで活躍。
その後、フリーのアレンジャーとなり音楽番組の制作を数多く手掛ける。
小原重徳(おばら しげのり)ldr 1912年12月18日 東京都生まれ
故人。法政大学卒業。ジョージ・アラワに師事。ヒロ・カレジアンセレナーダス、
1937年松本伸のビッグバンド入団。戦後スイングオルフェアンズ、CBナイン等に
参加後ブルーコーツに入団。長尾正士を引き継ぎ二代目リーダーに就任。日本三大ビッグバンドに育てた。
1970年に森寿男にリーダーを譲った。1978年ホテルニューオータニ専属のスイートなバンド、
ジョイフル・オーケストラを結成。
小俣尚也(おまた ひさや)ldr,tp 1929年12月8日 山梨県生まれ
日本高等学校。戦後、仙台でエデイ岩田とフルバンドを結成、その後ブルーコーツ、河辺公一と
オールスタージャイアンツ、平岡精二5、白木秀雄等のコンボで活躍。
1964年7月ドライビングメンを結成。ハイノート・ヒッターで鳴らした。